秋の良さが体現された歌:秋唄/大江千里
2週間前まではまだ夏かなと思うくらい久々に暑さを感じたが、今朝はもう冬かなと思うくらい寒さを感じる今日この頃。
近年はあまり秋らしさを感じる日が少なくなったけど、今年もいつの間にか私の好きな秋が終ろうとしていた。
秋の良さといえば、夏の暑さから解放された涼しさと、夏の騒がしさが過ぎ去ってしまった哀愁。
そんな秋の良さを体現してくれる歌を、今年最後の秋が終わる前に紹介したい。
この曲もNHKの番組『みんなのうた』で知った。
当時中学生だった私は番組の映像の中で、学校の制服を着た女の子が可愛かった事がとても印象的だったが、それ以上に情緒的なメロディと目に浮かぶような歌詞に心を奪われてしまった。
当時はまだネットが普及してなかったので、この歌の事について自分なりに調べるのにはかなり苦労した。
そして秋唄の音源を手に入れる為だけに、まだ中学生ながら大江千里さんのベストアルバムをCD屋で取り寄せる私をやはり変な目で親は見ていたのだろう。
世代的には私の親世代なのだから。
失われつつある日本の夏の終わりの風景。
この歌を聞くとそんな風景が不意に思い浮かんで、どこか懐かしさが込み上げてくる。
根無し草が私の人生なので、離れ離れになっても会いたい人はいるけれど、もし会いたい人に手紙を書くとしたら相変わらず元気でいるよ、と書いてしまうだろう。
たとえ元気じゃなくてもね。
秋の風の冷たさに夏終わってしまった寂しさを感じて、無性に人恋しくなってしまう心情に私も感情移入してしまう。
高校生の頃は自転車で独り、この歌を聞きながら当てもなくペダルをこいでいた。
当時親友だった人は別の高校に行き中々会えずじまい。彼女を作ろうにも男子校だった自分には夢のまた夢。
そんな鬱屈とした高校生の自分には、秋唄はまさにこんな秋を過ごしたいと思える情景を歌っていた。
この歌の主人公は勇気を出して会いたい人のところに向かった心情が表現されている。
初めて来た知らない場所にすこし気持ちが華やいでいるところとか、すごくリアル。
主人公の記憶では、会いたい人の目にはいつもさざ波が映っていたのだろう。夏の海辺の思い出がその人との最後の思い出なのだから。
そして最後の一文にその人の目に秋が映っているのであれば、きっとこの秋に会いたい「きみ」に会えたから。
勝手な解釈だが、このようなハッピーエンドに私は強い憧れと現実では起こり得ない切なさを抱いてしまった。
こんな青春送りたかったなぁ。
制服デートとかしたかったよホント。
もうこんな年だからどうすることも出来ないけどね。
まぁ、いいや。