BOOKOFFには必ず『ビビリ』が置いてあるのか?
BOOKOFFをご存知だろうか。全国チェーンの古本屋である。
インターネット上ではしばしばブコフなどと略され、発語した際の気のぬけた感じはツイッタラーに匹敵するが、BOOKOFFという空間自体はみんな大好きなのではないだろうか。かくいう私も学生時代、暇なときによくお世話になった。店内ではミスチルのいずれかのナンバーか、椎名林檎の『本能』がかかっていたと記憶している。あと、サザンの『希望の轍』と。
店内音楽は上記の三曲で決まりだが、ならんでいる本についても、お決まりのものがある。夏目漱石の『こころ』は当然あるとして、あと2冊えらぶとすれば、てんちむの『私、息してる?』とEXILE ATSUSHIの『ビビリ』である。このあたりが置いてないBOOKOFFはBOOKOFFとは言えない。
おもえば、そういう主張ばかりをしてきた人生だった。友人内であるある合戦をするとなると私は、この「EXILE ATSUSHIの『ビビリ』、BOOKOFFに絶対ある」を懐にしのばせて、ここ一番ではかならずくりだすことにしていた。
が、意外にもその反応はいつもうすかった。「『ビビリ』?『ビビリ』って本があるんですか?」と、急に他人行儀になりだすやつもいた。私は、教養のないやつだ、と思ってそいつを見下すことでギリギリ自己肯定感を落とさずに生きてきたわけだが、そろそろ振り返ることを覚える歳である。ここらで自問しよう。
ほんとうにEXILE ATSUSHIの『ビビリ』はBOOKOFFに必ずあるのだろうか?
このファクトチェックは重要である。なんとなれば、これはもはや私にとって哲学の背骨と言ってもよい思想であり、BOOKOFFに『ビビリ』がないとなると、むしろさっぱりした気持で己の“真”を棄て、明日からの毎日を別人として生活しだす気がする。なんかそういう映画があっても良い気がする。人はいつでもやり直せる。そういうことを学んだのも、おもえばBOOKOFFの古本からだったのではないか。あるいは、中田敦弘のYouTube大学のYouTube広告かもしれないが。
……とまあ、ちょっと及び腰すぎる気もするが、調査方法は、こうである。
私の生活圏内(奈良〜大阪)のBOOKOFFをまわり、EXILE ATSUSHIの『ビビリ』があるかを確認する。見つけるたびに『ビビリ』を一章ずつ読み、読了することができたら証明終了。
言うのをわすれていたが、私は『ビビリ』を読んだことがない。そもそもあまりEXILEとかかわることのない人生だった。古い記憶では、EXILEのメンバーは五人くらいだった。それがある日、なんとはなしにズームイン朝を見ていると、羽鳥アナが「EXILEが尋常じゃなく増えました」みたいなことを言いだし、見るとほんとうに尋常じゃなく増えていて、さすがにギョッとした。そのあとも、街を歩いている折、タイヤを八の字にしているふくらんだ角餅みたいな車が青白く光りながらドゥンドゥク音楽を流しているとおもって耳をすませば、たぶんEXILEのナンバーだったりした。EXILEの思い出に関しては、そのくらいのものである。なぜか私は曲のことをナンバーと言う。
ということで、さっそく街にくりだそう。
まず1件目はBOOKOFF大阪難波中店である。1件目にここをえらんだのは、言うならば安全パイである。天下の難波なので、おそらく店舗としてデカいだろうし、デカけりゃあるのがEXILE ATSUSHI『ビビリ』である。まずは涼しい顔で1件目をクリアしたい。
難波駅の出口に向かうエレベーターを出たところでBOOKOFFの気配を感じた。
ちがった。青くて黄色ければBOOKOFFかと思いがちだが、Tポイントカードのこともある。ちょっと警戒しすぎかもしれない。
外に出るとあいにくの雨であった。5分ほど雨に濡れると、着いた。
青ではなく紫だったし、黄色ではなくオレンジだった。記憶とはいいかげんなものである。この分では『ビビリ』もあやしいな……、などと思いながら開店時間の朝10時に入店した。
店のまえにはおじさんが四人ならんでいて、開店と同時に直行でCDを買い取りに出していた。そのモチベーションはよく分からないが、おじさんたちも人生の有限性に気づき、焦りながら生きているのかもしれない。
大阪難波中店は2階建てである。1階はコミック・CD・ゲームコーナーで、2階が実用書コーナーだ。
まず110円コーナーをざっと確認する。
ない。
つぎに220円コーナーを確認する。ない。
『ビビリ』はないが、鬼ぶあつい写真集ならあった。この写真集は220円コーナーにも、芸能人コーナーにもあり、芸能人コーナーにある方は350円だった。思い出したが、BOOKOFFにはこういうトラップがある。
ちなみにてんちむの『私、息してる?』はあった。ローランドの『俺か、俺以外か。』もある。30分ほどがんばったが、けっきょく『ビビリ』はなかった。RADWIMPSのボーカルの人の『ラリルレ論』とか、オードリー若林のいずれかの本にすればよかった、というほのかな後悔の念が胸に去来するが、そうも言ってられない。切り替えていくしかない。
2件目はBOOKOFF 大阪心斎橋店です。丁寧語になっているのは、私の心の動きの表れかもしれない。こういう繊細な表現ができるのが日本語のすごいところである。そういうことを学んだのも、おもえばBOOKOFFの古本からだったのではないか。あるいは、鴨頭嘉人のYouTube動画のYouTube広告かもしれないが。
で、ここは地下がDVD・CD・ゲームコーナーで、1階と2階が実用書コーナーになっている。
EXILE写真集はとうぜんあるとして、EXILE ATSUSHIの『サイン』があった。『サイン』ではないんだよなあ!『サイン』では。ちゃーか、これ初めて見た気がする。「歌は、僕の祈りだ」なんて、そそられる帯ではあるが、ATSUSHIさんの生き様は『ビビリ』にこそあるのだ。『サイン』では、ちょっとおあつらえむきすぎる。『ビビリ』である自分を受け入れ、それを人に告白するときに、生のATSUSHIが現出する。そうだ、私が求めているATSUSHIは、これではない。
その後も1階を徘徊したが、『私、息してる?』も『俺か、俺以外か。』もない。『ラリルレ論』はある。自己啓発コーナーにはホリエモンの本がたくさんあった。ホリエモンとキングコングの西野が、「バカと会話しちゃダメだ」みたいなことを言って盛り上がっていた。
2階に行く。
あった。
あれ?
HIROさんじゃん!!
あ、HIROさんなんだ、『ビビリ』って。
で、歌で祈ったりするのがATSUSHIさんなんだ……。
これは、ちょっと、予想外だった。
なんなら調査の継続が危ぶまれた。なんとなれば、私の伝家の宝刀「EXILE ATSUSHIの『ビビリ』、BOOKOFFに絶対ある」がこの時点できわめて明瞭に瓦解してしまったのだ。だって、ATSUSHIじゃないじゃん、ということである。
小一時間考えた。
最終的に、まあ、表記ぶれの範囲内かな、と頭のなかのえらい人が判断した。
私が「EXILE ATSUSHIの『ビビリ』、BOOKOFFに絶対ある」と自信満々に人に主張するとき、頭に思い浮かべていたのは紛う方なく上記の表紙である。
この顔を私はATSUSHIさんだと思っていた。ぶっちゃけATSUSHIさんとHIROさんの見分けがついてなかった。ATSUSHIはなんかナルシシズムを感じるグラサンの人だが、『ビビリ』という独白本を著すに際し、その表紙ではグラサンを外し、素顔の自分で勝負したのだ、それが『ビビリ』のとりわけ感動的なところなのだ、とか、そういうことを考えていた気がする。まあ実際はそういうことさえ考えてなかった。単に思い込みである。
失礼、だよな。
失礼だが、しかし、HIROはこう言う。
そうだ。
「要は、やるかやらないか」、である。
やるかやらないか。俺か、俺以外か。私はもうこの本と出会ってしまったのだ。
私は『ビビリ』をレジに通した。
そうしてBOOKOFFのまえにあったドトールに入った。
あらためて見ると、ぶあつい。芸能本でこんなぶあついことある? トマスピンチョン全集かと思ったよ。
しかるにそれだけHIROさんの人生哲学がふんだんにもりこまれているということだろう。ありがたや、ありがたや。
目次を見る。全五章だてである。ということは、あと4件のBOOKOFFをまわってすべての店舗で『ビビリ』を見つければよいわけだ。表紙のかんじからして12章くらいある気がしたので、そこはほんとうに助かった。
さっそく本文を読んでみる。「はじめに」である。
すっとからだにしみこむ文章である。すでに何度も読んだことがある気さえする。というか、ほんとうに読んでるんじゃないか。いつも立ち読みでこのへんだけ読んでいる気がする。私の読みでは、そういう人が全国にわんさかいるのだ。1000万人くらい。そいつらは皆、このへんで立ち読みをやめて、EXILE ATSUSHIはビビリなのだ、という漠然としたイメージだけを持って生きている。あ、EXILE HIROか。
で、初めてすべて読んだ「はじめに」の内容をまとめてみる。
とまあ、こういう感じである。なんかたしかに「第〜章」というワードをEXILE関連で聞いたことがある気がする。
つづけて、本の第一章「引退」を読む。いまちょっと思ったが、この本が五章だてなのは、第四章にさしかかろうとしているEXILEのさらに未来を見据えてのことなのではないだろうか。そういうことを思うほどに、この第一章を読むと、EXILEの発起人であるHIROさんの、企業人としての一面がリアルに迫ってくるのだ。
第一章でとりわけ重要なのは、HIROさんのパフォーマーとしての引退は、「EXILEをさらに輝かせるため」だということである。HIROさんはそれを新陳代謝という言葉で表現している。HIROさんの経営者としてのクールな視線と、だれよりもEXILEを愛するパフォーマーとしての熱意が、HIROという人格のなかでアンビバレントな融合を示し、やがてビビリの一語に収斂され、ポジティブなエネルギーを伴った大きなうねりを成して読者に語りかけてくる。
圧巻のアニキ肌。
EXILE系の人のイメージに漠然とある、「いつまでクヨクヨしてんだよ。元気だせよ」みたいなことを言って肩に手をおいてくるあの感じは、ほかならぬHIROさんのものであった。
第一章を読み終わり、私はもはやATSUSHIさんとHIROさんをまちがえることなどなくなっていた。あとタカヒロが天才なのも分かった。
ということでつぎのBOOKOFFにむかう。
つぎはBOOKOFF PLUSなんば戎橋店である。難波中店から心斎橋店の移動でなんば駅から心斎橋駅まで電車移動したわけだが、ここにきてまたなんば駅にもどることになった。
こういう移動のブサイクさは、私があまりふかくものごとを考えないせいで生じた。あと、方向音痴はなはだしいので、なんば駅からBOOKOFFまで30分くらいかかった。インターネット情報では5分くらいで到着することになっており、じじつ5分くらいで着く距離である。そこはまあ、私なのでしかたない。
着いた。ビルの3階と4階がBOOKOFFである。「そりゃ分かんないよ!」と私は思う。だが、たいていの人は分かるのである。ふしぎだよね。
で、ここはなんと言ってもBOOKOFF PLUSである。4階には服とかが売っていて、本は3階にしかない。まちがえてまず4階に行ってしまい、エレベーターの扉のまえでずいぶん待たされることになった。人生通してムダなうごきしかしてない気がする。
例の写真集がある。しかも500円する。ここにきて過去最高額をたたき出したわけだが、このへんである法則に気づく。つまり、EXILEの写真集があってそのちかくに『ビビリ』がなければ、その店舗には『ビビリ』がない可能性が高い、ということである。じっさい、そのあと20分ほど店内を調査したが、『ビビリ』はなかった。相変わらず『ラリルレ論』はあったが、『ビビリ』はない。中村一義の『魂の本』があった。そうそう、俺これ持ってたよ、なついー、とか言ってキャッキャしたが、『ビビリ』がなければ意味がない。あと、てんちむの『私、息してる?』も地味にない。てんちむの『恋愛白書』ならあった。俺知らんな、その本。
で、4件目はBOOKOFF 天王寺駅前店である。1階はコミックとかCDとかのコーナーで、2階は実用書のコーナーという、BOOKOFFの平均的な店舗構成である。とうぜんのごとく『ラリルレ論』はあった。
あと、ローランドの『君か、君以外か。』があった。そんなのあるのかよ。たぶんローランドは出版社にたのみこまれて書いたのだろう。出版界ではそういうことがままある。
蓮實重彦の『映画狂人日記』があったのでほしかったのだが、1300円したのでやめた。
しかし『ビビリ』ないなあ……。
と思っていたら、あった。松本人志の『好きか、嫌いか』のとなりである。俺か、俺以外か。君か、君以外か。好きか、嫌いか……、要するにローランドも松本人志もおなじことを言っている。お二方の断定を目にすると、HIROさんの『ビビリ』の奥ゆかしさがお雑煮のようにしみる。っぱHIROよ、と思う。
が、こういうHIROさんへの信頼は、つづく第二章でみごとにうちくだかれる。
私は天王寺駅のサンマルクカフェに入って『ビビリ』の第二章に目を通す。第二章のタイトルは「バカ」である。
この第二章では「あんなにバカだった俺たちだってできたのだから、誰だってできる」というメッセージが炸裂する。すでに一定の富と名声を手に入れたHIROさんだからこそ言えることであり、ここには意気軒昂たる若き経営者であるHIROさんはすでに存在せず、語り手は完全に現在のHIROさんとイコールになる。40代のおじさん特有の半分悟ってしまった人の暑苦しさが前面に現れ、「努力は嘘をつかない」とか、あまつさえ「要は、やるかやらないか」というローランド・松本人志の系譜の二元論が展開される。これはあらかじめ帯で知らされていた言葉だが、すっかり忘れていた。あ、これ怖い言葉だった。
さらには所属の若いイケメン男子に「老いに負けるな」と説教しているエピソードが自慢げに紹介され、「いい歳こいて、中身が薄っぺらなことほどサムいものはない」とクソデカい太字で強調される。筋骨隆々である。
HIROさんは言う。「天国を作るのも地獄を作るのも、自分自身」。有無を言わさぬ感じである。私は第二章を読み終えた。
さて、朝の10時から開始したこの調査であるが、すでに16時半をまわった。道にいっぱい迷い、HIROさんにウザ熱いことを言われた私は、ぶっちゃけもうヘトヘトである。
ちょっともう帰りたいなあと思っている。だが、HIROさんは言霊がどうとか言ってたし、あまりネガティブなことは言いたくない。がんばろう。「ぜってえ、負けねえ」。
つぎにむかったのはBOOKOFF 京阪京橋店である。ビルの3階にある。道中、寒いし暗いし、おまけに定時をすぎて残業であることをずいぶん嘆いた。
どうかなと思ったが、『ビビリ』は松本利夫の似たような本のちかくにあった。松本もEXILEのメンバーらしいが、『キズナ』、『ビビリ』とならぶとHIROさんのセンスがいかにすぐれているかがよくわかる。
ちなみに、『キズナ』と『ビビリ』のあいだには東野幸治の『この素晴らしき世界』というおそらく毒多めの本がはさまっていた。おもしろそうだが、それどころではない。
外に出ると、あいかわらずひどく寒いし暗い。どこかスタバにでも入って『ビビリ』の第三章を読もうと思ったが、外の窓越しに見るスタバは満員であった。もう良い。あとでまとめて読もう。
最後にむかったのはBOOKOFF 奈良東山店である。
そう、ついに奈良県にきた。ようするに自宅のある方向にもどってきたのである。店舗に着いたときには18時をすぎていよいよ雨が強かった。
キングコング西野の『革命のファンファーレ』と『新世界』が6冊ずつあった。6冊!
さらに、『私、息してる?』と『俺か、俺以外か。』の黄金コンビがならんで棚におさまっていた。あと、『ラリルレ論』もある。最終回ちかくになってなつかしい敵たちが主人公の応援にあつまってくる展開みたいで胸アツであるが、じっさいには私は真顔であった。
ついでにてんちむの『中学生失格』もあった。私は真顔であった。
そして伝説の名著であるEXILE ATSUSHIの『天音。』があった。これは『ビビリ』の「はじめに」で言及されていた本であり、ここでの出会いは感慨深いといえば感慨深いが、私のなかでATSUSHIのポジションはけっこう微妙である。ま、『ビビリ』ではないしな……、って感じ。
30分くらいねばったが、けっきょく『ビビリ』は見つからなかった。それどころか例の写真集もなかった。キングコング西野のひとり勝ちのふぜいである……。
そんなわけで私の戦いはおわった。日を改めるなどすればまだ戦いは継続可能であるし、HIROさんもそれを望んでいると思われるが、打率は五割くらいであり、正直萎えている。そんなに意固地になってまで守らなくてはならない「あるある」だったのかと言われると、それほどでもない気がする。
私はほうほうの体で自宅の最寄駅にもどり、近くのスタバに入店した。スターバックスラテを購入し、席について『ビビリ』をひらく。
第三章「チーム」。
「恩返し」のフレーズのもとHIROさんの視点は日本を超え、人類すべてにむいていた。両親、兄弟、姉妹、祖父、祖母、学校の先生、友だち、昔の仲間、どこかの見知らぬ誰か……、それらすべてにHIROさんは感謝する。
「自己愛から人類愛へ」。HIROさんはそんなことも言っている。『ビビリ』だったHIROさんはそこにはもういない。ただ感謝だけが超然と屹立しているけしきだ。なぜそうなったのかは、分かるようで分からない。文字で表すことのできない人格的な飛躍が、彼の人生に生じたのであろう。
私は『ビビリ』をそっととじた。残りの二章と「あとがき」で、HIROさんはどこに行ってしまうのであろうか。すでに人類愛に目覚めたHIROさんの意識ははるか宇宙へとむかう気もするし、『ビビリ』である自分へと回帰する気もする。人間が歳をとると、そうなるのだということを私はなんとなく知っている。あるいはそれを知ったのは、BOOKOFFの古本からだったかもしれない。だとするのならば、BOOKOFFは人生の指標になりうるし、『ビビリ』はBOOKOFFという小宇宙を閉じ込めた一冊だということもできるかもしれない。
いずれにせよ私は、人生のブラックボックスである『ビビリ』の内容を、部分的にであれ知ってしまったのである。知るべきでなかった気もする。
「BOOKOFFに必ずある本」という神話を純粋に信じつづけていた方がしあわせだったかもしれない。『ビビリ』はある意味、想像通りの内容だった。多くの自己啓発本がそうであるように、それはある種の真理にいたっていた。聖書の似姿と言ってもよいかもしれない。要は、そういう本だった。
これから私はどんな幻想を抱いて生きて行けばよいのだろうか……。
「……大丈夫。」
どこからか、そんな声がする。
誰だ?
「わたしは、BOOKOFFの公式キャラクターのよむよむ君です。」
よむよむ君? フリー素材のニコちゃんマークでは……。
「よむよむ君です。」
よむよむ君なのか……。
「あなたはまだあの本を読んでいません。」
あの本……。
「そうです。」
そう言ってよむよむ君の丸っこい手が差し出される。
私は一冊の本を受け取る。
次回、野田洋次郎『ラリルレ論』でお会いしましょう。