ウソや言い訳と普通。
テレビを見ていると、色んなニュースが流れてくる。
その中で、特殊詐欺のグループが逮捕されたニュースが流れていた。
マイクを向けられた犯人がこう言いました。
「年寄りがタンスにしまってる貯金を俺達が引き出して世の中に流す。これで経済が回って潤う」と。
まるで「だから俺達に感謝しろ」と言わんばかりに。
一瞬、なんて言ったらイイのか分からなくなります。
悪気どころか、自分達は良い事をしてるんだと思ってる位の感じでした。
経済がどうだの言ってますが、その手段が問題なんです。
騙してお金を取ってる訳ですから。
この様なグループに入ると、研修の様な物があり、そこでこの様に教えられる様です。
それを完全に信じてやっている人は、さすがに居ないと思いたいですが、この様な言い訳を楯にして、自分達の罪悪感を減らして悪事に加担させているのでしょう。
つくづく思いました。
やっぱり人間は、人や自分にウソや言い訳をしてはイケないなと。
その場の言い訳をしてしまったとしても、後で“言い訳をしてしまったなぁ”と後悔はして欲しいものです。
決して自分のついたウソや言い訳が“正しい”なんて思ってほしく無いですね。
自分で自分を洗脳する様なものですから。
もし、仮に、生まれた周りの状況がそんな感じで、ウソの情報が真実の様に伝えられていたらどうでしょうか?
本当の正しい事には気が付かないままになってしまいます。
僕の小さい頃は、お菓子の食べた袋とかは、町中に捨てるのが普通でした。
「誰かが掃除するだろう」と。
僕は少し変わった人間なので、「コレを捨てるから掃除をしなきゃいけない」という思いがあって、ゴミを町に捨てませんでした。
身近な人が言いました。
「これだけゴミが落ちてるねんから、そのゴミ1個捨てた位で何も変わらんから捨てろ」と。
僕は『だからといって捨てて良いって事はないと思う。掃除する人が、このゴミ1個分、余計に掃除しないといけない』と言うと、その人は「クソ真面目やな!そんなもん1個位一緒やって!」と怒られました。
そんな感じで僕は“変なヤツ”扱い。
僕は思った。
『僕は変なんだ。なら変な人で良い』と。
自分の感覚で生きていこうと思いました。
それから時は経ち、今では町にゴミを捨てないのが普通になってきました。
当時、普通で無い僕は、時代を経て普通になりました。
周りでの普通が本当に普通なのでしょうか?
デックの1番上のカードをめくる時に、横に返すのが普通なのでしょうか?
まぁ、便利なので僕も横に返す事が多いですが…。
“人の物差しを問う前に、自分の物差しを問え”
そんな言葉を思い出しました。