【短編小説】ブックス品川
日曜日の昼過ぎ、何をするでもなく寝ころんでいると、インターフォンが鳴った。玄関のドアを開けると、段ボール箱を抱えた男が立っていた。皺の寄った変なTシャツを見るかぎりから、運送屋でないことは明らかだ。
「来たぜ」
「なんで」
「LINEしたろ」
スマホを確認したところ、「今から家行く」のメッセージがこの男、品川から発信されたのは1分前のことである。
「お前のことミュートしてたわ。そもそも1分前に今から行くってどうなの」
「まあまあ。どうせ暇だろ。面白くなるから」
期待させる男だ。
品川は段ボールを床にドスンとおいて、言った。「こいつを京都市中にばらまくぞ」
品川が持ち込んだ段ボールに文庫本サイズの本が詰まっていた。装丁は簡易的で、白い表紙にはレモンのイラストが描かれ、それを横切るようにゆるい書体でブックス品川と書いてある。背表紙には四本足の動物をかたどった印が押してあった。
「なにこれ」
「本だよ。小説。俺がつくった」
「お前小説なんて書くんだ」
「まあな」
私の知っている限り品川は本を書くどころか、読むような人間でもなかったはずだ。パラパラとめくってみると、一応の体裁は整えているらしい。
「こいつを売るんだ。できるだけ色んな本屋においてもらえるように。古本屋でもなんでもいいから」
「なんでよ」
「終わったら木屋町で奢るから。頼む」
箱の中の本は五十冊を下らないだろう。だが品川といると何かしら面白いことが多い。
「仕方ないなあ」
私たち二人は自転車の後ろに段ボールを括り付け、京都の町を疾走した。白川通の古本屋を手始めに、大学の近くの古本屋、河原町の裏の方の古本屋に行き、自費出版を扱ってるお洒落なブックストアにいった。ただ中古の本を売りに来た人のふりをしたり、これから出版業界に羽ばたきたい人のふりをしてみたり、あの手この手を尽くす。それでも、もちろんのことだが、なかなか本は減らない。よくわかんないやつの作ったよくわかんない本なんて売れるわけがないのだ。もしかしたら営業の仕事ってこんな感じなのだろうかと思った。
しびれを切らした品川の提案で、店においてくれと頼むのではなく、こっそり本屋の棚に忍ばせておくという限りなくブラックに近いグレーな戦法を取り入れ、やっと終わりの見通しがついてきた。美術館脇にある府立図書館にも置いたし、河原町の丸善にも置いた。段ボールの底が見え始めるころには、もう日が傾いている。
コンビニで買ったアイスをなめつつふたりで鴨川べりを歩いた。
「あと一冊じゃん」
「もういいよ。それはお前に上げる」
「別に要らないけど」
「後々価値がつくかもしんないじゃん」
そう言うのでしぶしぶもらう。
「無事終わったわけだけど、この本は何なの」
木屋町の居酒屋で品川に聞いた。
ふふーん、よくぞ訊いてくれたと誇らしげな品川。
「これは小説だよ。だけどただの小説じゃない。俺が考えた謎を隠してある。暗号だな。よく読んでいけば解けるっていう寸法。だが読む人によってはその謎の存在にすら気づかずに面白おかしく読み終わってしまうというわけ」
「ほお。ちなみにその謎とやらを解くとどうなるんだ」
「答えはとある場所の座標になっている。でその場所には別の文書があって、暗号になっている。その繰り返しだ。」
「とある場所って例えば?」
「例えば、祇園の浮いた石畳の裏とか、某地区の長屋の軒とか。屋台ラーメン屋の提灯の中とか、あと……」
「もういいわ。」
謎をつくる人は解いてほしくてたまらないようだ。
「何のためにそんな変なことやったの」
「ロマンだ」
マロンかと思った。
「エジプトとかさ、そういうとこの遺跡って謎だし、みんな知りたいじゃんか。でも謎を解く側じゃなくてつくる側だったらきっともっとおもろいだろうって思うんだよ」
「ふーん」
その日は結局木屋町で飲み明かし、食べ明かし、翌日のゼミなんて行けるわけがない。
因みに暗号を全部解いたらどこにたどり着くのかというと、某古寺の狛犬のまたぐらだという。「そこにとっておきの秘宝を隠しておいた」らしい。
そんなことをしていた品川も今ではすっかり丸くなってしまっている。もう社会人も五年目だ。五年の歳月が彼を変えた。モラトリアムの延長戦を決め込んで、ロマンだなんていって阿呆なことをしていた昔がしのばれる。
「ちゃんと飲むのも久しぶりだよ」
そういってビールのジョッキを持ち上げて、喉をごくごくいわせ、わざとらしく「あー、うまい」という。のどから絞り出したように、あーと言う。労働に従事して、私たちは確実に年を取っているらしい。
「うちの嫁さんも飲まないしさ、飲み会とかも、部下に上司に気使わんとだし」
「ふーん」
品川はつい最近結婚した。来年の春にはもう子どもが生まれる予定もある。
そんなものかと思った。
ニラの効いた餃子がうまい。
「お前は変わんないな」と品川。
「そっかな」
「うん。変んない。変んない。」
そういいながら、品川はしきりに首振った。相当酔ってるらしい。昔のことなんて覚えていなさそうな品川の顔がさみしく見えた。
駅前で別れて、アパートに戻った。押入れの中を十分ほど捜索すると、例の本が見つかった。とうとう彼の謎を解くものがいたのかどうかは彼の口から聞いてないので分からないが、おそらくいないのだろう。狛犬のまたぐらには秘宝に加えて、彼の連絡先も残してあったらしいから、もしそんな人がいたら教えてくれるんじゃないか。それに今夜の品川の表情を見ていると、彼のロマンはついえたんだろうなという気がしてならなかった。
それで、それならば、私が暗号とやらを解いてやろうと思ったが、彼の書いた小説はどうしてもただの小説にしか見えなかったし、背表紙の冴えない顔の動物がむかつくので、翌日ブックオフに持ち込むと、あの時あんなに売れなかったこの本が、十円と引き換えにして、簡単に私の手を離れていった。
おわり