双極ASD少年の回顧録(少年期)
おはようございます。レイン坊と申します。
先日の尿管結石の発作からしばらく経ち比較的安定した日々になりました。
前回の記事では自身の幼少期を語りました。今回は少年期、中学高校時代をさらっと語りたいと思います。
自分の記憶の整理みたいなものでしょうかね。
ではいく!
暗い中学生時代
思春期に入り多感な時期。
微妙に色気づくお年頃。
僕はすっかり大人しい男子になっていました。
容姿は身長が175cmくらいになって体重は50kgのひょろひょろ。
顔は中性的で覇気のない感じでした。
何を血迷ったのか部活をバスケ部にしてしまいました。
本来ならスポーツで体が鍛えられて望ましいことだと思いますが、僕の場合は違いました。
球技が絶望的に苦手!
先輩にはバカにされ、同級生には呆れられていました。
まず何がダメかというと、パスがわからない。
誰がどこにパスをしたいのか。
ゲームの流れが全く把握できないのです。
ボールもまともにキャッチできないし。
チームプレイが全くできないのです。
ただ唯一できたのはフリースローだけでした。
決められた位置からだれにも邪魔されずにゴールに向かってシュートするやつですね。
そういうのだけはできました。
あとドリブルしながら走るのとかみんなどうしてできるの?ていうレベルでした。
最終的には補欠&記録係にしてもらいました。
肩の荷が下りてほっとしましたね。
幸い大きなケガをしなかったのだけは良かったと思います。
得意なことは美術。
特にデッサンが得意で、鉛筆だけで絵を描くと毎回満点をもらいました。
なので、美術の成績は最良で、体育は最低でした。
内申点の時代だったのできつかったですね。
放課時間はだいたい絵を描くか寝てるかのどちらかでした。
がやがやしてるところでは人の言葉が聞き取れないので会話ができなかったんですね。
オトナになって知ったのですが、発達障害によく見られる「APD」という症状らしいです。
【聴覚情報処理障害】
でも聴力検査では問題なしなのです。
これが本当につらくて、社会人になってもこれのせいで大事な話が聞こえなくて叱られることが多かったですね。
とにかく中学時代はつらかったので、絶対に高校は自分の行きたいところに行くと決めて勉強に専念しました。
音楽にはまる高校生
勉強の甲斐があって、みごと第一志望の高校に落ちて第二志望の進学校に入学しました。
中学時代に苦手だった生徒も同じ高校の同じクラスになってしまいました。
最悪な一学年が始まりました。
今回は中学時代の失敗をかてに、部活は「吹奏楽部」にしました。
100人ほどの大きな部活で、過去には何度も全国大会に出ていたような強豪でした。
女子が90人男子が10人くらいいたのかな?
ちょっと自分にはハードルが高かった。
パートはアルトサックスを選びました。
でも、顧問に嫌われてしまいサックスを取り上げられてしまいました。
隣の女子が楽譜を読み間違えているのに、僕が間違えたと勝手に決めつけられました。
「お前パーカッションやれ!」
えー。
音感はあったけどリズム感が壊滅的な僕は四苦八苦しました。
どんなに指揮棒を見つめてもリズムが取れませんでした。
ク〇みたいな同級生にも「半拍くらいずれてる」と意味不明な指摘をされました。
逆に半拍ずらせたら裏拍の神になれるわ。
文化祭ではエレキギターで出場しました。
なにがなんだかわから得ないうちに終わりましたが、会場は盛り上がってくれました。
みんないいやつだなーーー!!
なんだかんだ言って高校時代は先生たちも人間味があって、同級生も仲良くしてくれたしかなりいい思い出ができたと思います。
部活の遠征も楽しかったな。
先輩や後輩との色恋沙汰とか。
(ここでは書けないことがいっぱい!!)
終始鬱っぽかった中学時代に比べると、躁っぽいときと鬱っぽいときが交互にあった気がしますね。
そして、卒業。
大学は何とか電車で通えるようなFラン?ぽい大学に進学することになりました。
法学部です。
ちなみに法律には全く興味がありませんでした。
社会人になってから「あれ?俺って法学部出たのに法律のこと知らなくね?」となりました。
悪いこと大好きな地元のヤンキーくんのほうが何倍も法律のことを知っていた気がします(笑)
書きたいことは山ほどありますが、ながくなるのでこのへんで。
では!