愛犬が他界した日。
今日 3/16 の 9:55 頃に、愛犬が息を引き取った。てんかんの発作が原因だった。
先日、うちに来て4年を迎えたばかりだったこともあり、気持ちの整理が中々追いつかない。あまりにも短い犬生。
この投稿を書き始めた段階で既に12時間以上経過しているけれど、ここまで目を泣き腫らしたのは後にも先にも今日だけかもしれない。
普段から涙を流す方ではないけど、今日ばかりは止まらない。
まる(愛犬)は、産まれて間も無くして天草で保護されたと聞かされている。
その後、都内の動物愛護団体に引き渡され、生後3、4ヶ月の頃に我が家で迎える事が出来た。
お陰様で、運良く子犬から成犬になる過程を見守ることも叶った。
毎日の変化が愛おしく、それこそ見てるだけ心が穏やかになった。
まるが来てから、コロナがあり、僕が結婚をし、そして離婚もした。
生活環境が目まぐるしく激変する中で、メンタルは常に不安定。
生きてきた中で1番辛かった4年間に寄り添ってくれたかけがえのない存在。
横にはいつもまるがいた。
そんな相棒が、急に呼吸を止めた。
過去にも発作を起こした事は何度かあったけど、これまでの 5-10 分で終わる発作とは違い、この日の発作は長く続いた。
最終的に、深呼吸を吐くかのようにゆっくり弱く息を吐き、それっきり動かなかくなり、ここで初めて息を引き取ったという実感が湧いた。
少しづつ現実を受け入れつつも、余りにも急で若過ぎる。
なんでまるが?まだ4歳でしょ?
そんな不毛な考えばかり頭をよぎっている。
これは僕の勝手な解釈かもしれない。
けれど1つの仮定を立ててみた。
“まるは僕がキチンと独り立ちするのを見守ってくれたのではないだろうか”。
都合の良すぎる仮説かもしれないのは分かっている。
これくらい都合の良い捉え方をしないと、心が持たない。
小さい頃から犬が好きで、犬を迎えることは長年の夢だった。
その夢が実現した時はこれまでにない喜びを感じたし、理解してくれた元嫁には感謝しても感謝しきれない。
とは言え、今振り返るとまるを迎えた当時は人間として未熟だった。
何かしらに対して常にイライラしていて、コントロール出来ない負荷が続くと塞ぎ込みがちでもだった。
根本的に、外的要因を処理する力が弱かったのだ。
それもあってか、事あるごとにこの子の存在に救われていた。
常日頃ある職場でのプレッシャー、コロナ禍の生活の変化、離婚。
どんなに気持ちが落ちていても、屈託のない笑顔でよって来て、横に座って気持ちを楽にしてくれた。忙しい日の最後にこの子と散歩をするだけで息抜きが出来たし、散歩から戻って“今日もお散歩楽しかったね”と言い合っていた瞬間が大好きだった。
大袈裟かもしれないけど、まるにハグをすれば、ある程度のストレスは吹っ飛んだ。
そんな不思議な力を持った凄い犬。
実際、ここ最近は物事に対してそこまでストレスを感じずに接する事が出来ていたし、忙しくとも自分を見失わずに動けるようになった。
これは、間違いなくまるのお陰である。
成長を手助けしてくれたのだ。
犬を飼うというのは人間のエゴ。
その事実は理解している。
大抵の場合、動物は人間よりも早く死んでしまう。
その事実も充分に分かっている。
そうだとしても、相手を思いやる気持ちや、寄り添い方を教えてもらえて、
まるの心は僕の中で生きている。
そう信じている。
きっと、これからもずっと。。。
HY
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