かさぶたって大人にはできない?
あんなに子供の頃はできてたのに
もう腕あたりはちょっとしたタトゥーくらい入ってたのにかさぶた(入ってたて)
大人になってかさぶたできたか思い返すけどほんとに少ないなって思う。 忘れてるだけ??
もしかしたらかさぶたって、遊ぶことに命をかけていたあの頃にだけあらわれる全力少年の証しなのでは?
楽しくて、無我夢中で注意力?危険察知能力?みたいなのを働かせずに「楽しさ道」まっしぐらの先に訪れる勲章なのかも
大人になってから出来たかさぶたを思い返したら
友達と川に遊びにいってジャンプして飛び込んで川にバジャンといけず 手前のブロックみたいのにジャアアッってなったときにかさぶたの命が芽生えたな
あの時間違いなく全力少年「楽しさ道」まっしぐらだったな
童心に帰る
って「かさぶたを作る」と同義かも知れんぞこれは(個人の感想です)
もちろんケガしたり痛いのはキツイけど、かさぶたは我々人類になにかを伝えるために存在してる気がする
仕事で忙しい毎日に「たまには思いっきり遊べー」とリフレッシュを促し
そしてケガさせて、その反省で普段の身の安全や家族を守れるよう危険回避能力を備えさせ、
そしてかさぶたといえばのビッグイベント「剥がし」の誘惑で
「一瞬の快楽のためにとれるリスクの限界」
ボーダーラインを定めさせ、
飲み屋さんとかででついつい予定してたより多く飲んだり延長しがちなお金の使い方のときに「気づき」として思いとどませるよう活かされるようになっているのかもしれない
ここまできたら「かさぶた」でことわざ作らんと偉大なるかさぶたさんに悪い気がしてきた
「剥がして痛けりゃ床を拭け」
(※かさぶたを剥がして痛いときは、その剥がし方に問題があり、集中力の欠如、思いやりの無さ、情緒の乱れ、冷静な判断が出来ない為、気分転換に掃除をして心を整えて大人しくしてるのがいいといことわざ)
かさぶたさん、そこまで考えてくださってたんですね 有難う御座います