ツバメ夫の北信田舎暮らし:俳句とエッセイ 003
トンボ舞う信濃の棚田永遠(とわ)にあれ
これは信濃の山里讃歌であり、その美しい風景が永遠に続いてほしいとの願いを込めた祝詞(のりと)でもある。
私が心に描く美しい日本の原風景の一つがトンボが舞い飛び、黄金(こがね)の稲穂が風に揺れる棚田だ。美しい日本の原風景には是非ともトンボに参加してもらいたい。私が日本的な美しさの構成要因の一つとしてトンボを意識するようになったのは、それほど昔のことではない。そのきっかけは一人のフランス人だった。
私の本業は英語とフランス語による通訳案内士、簡単に言えば観光ガイドだ。私がある時受け持ったフランス人グループに添乗員がついていた。添乗員もピンからキリまであって、通訳案内士にすべてお任せタイプから、通訳案内士にはほとんど話をさせずに、マイクを握り続けて、日本や日本文化に対する蘊蓄(うんちく)を延々と披露するタイプまで色々ある。
くだんのフランス人添乗員は、ラフカディオハーンの『怪談』のフランス語版を愛読書の一つにする、かなり日本に傾倒している様子の人だった。そんな彼女と、典型的な日本の風景とはどんなものだろうかと雑談していたとき、彼女は即座に、トンボ(libellules)が飛んでいる風景と答えた。
オォー、なるほど!水の中に住んでいる魚に水が見えないように、トンボが飛んでいるのが当然と思っている自分には、トンボが意識できていなかった!それ以来トンボは私が田園風景を評価する時の大事な一要素となった。
私は季節移住先の集落で、ひょんなことから、その地区の棚田の中の2枚の田んぼを管理する任務を負うことになってしまった。任務自体は単純で、休耕田にしないで、何か作物を作る。雑草を刈って美観を保つ程度だ。だが、言うは易く行うは難し。特に雑草が生えてくる勢いには圧倒される。
棚田なのだから、水田として管理できれば私の美意識にもかない、理想的だが、稲作管理は最も手間暇がかかる農業形態だ。私には無理だ。調べてみたところ、最小限の手間でできる農地管理は、そば栽培であることがわかり、毎年、蕎麦作りをしてきた。
人老いて棚田を覆う蕎麦の花
田の管理を始めた時、お隣の田は水田だったが、やがて水田から野菜畑に変わり、最近は、私の田と同様に、そば畑になってしまった。わずか6〜7年の間でも、棚田の様相は急激に変貌している。その原因は言うまでもなく、棚田の管理をしている人々の老齢化にある。
棚田そのものの骨格は維持されているが、水田が減るにつれて、舞い飛ぶトンボの数が減っているように思われる。黄金色の稲穂が揺れている水田は、棚田全体の1/10もあるだろうか?さらに10年も経てば、「棚田とは蕎麦を栽培するための農地」になってしまうのではないだろうか?
かろうじて残っていた美しい日本の原風景、トンボが乱舞し、黄金色の稲穂が揺れる棚田は、消滅確定かつ消滅直前であるように思われる。
私のこの俳句は、失われゆく棚田の風景に対する挽歌でしかないのだろうか?
夕焼けこやけの赤とんぼ追われてみたのはいつの日か… なぜかこの歌が脳裏をよぎった。