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ショートショート「土管を抜ける」

 僕は地方大学の地質学研究科に所属する修士課程の学生だ。卒論のテーマに悩んでいたところ、「一部の土管から別の場所へ瞬間移動できる」という奇妙な伝説が残る町があると聞きつけた。実に科学的な検証に値する話題だと判断し、僕は調査のためにその町を訪れた。

 町のいたるところに、年代物の土管が点在している。どれもかなり古びていて、確かに昔からここにあるような雰囲気だ。町の人に話を聞くと「土管に飛び込めば、一瞬で山の向こう側に出られる」というのだが、いざやってみたという人はほとんどいない。誰もが「うわさ話だよ」「伝説みたいなもんだね」と笑って流す。

 僕はそんな根拠の薄い話にも真面目に向き合う性分だ。まずは土管を片っ端から観察する。土管の内径や素材、周囲の地形、地磁気の影響などを丹念に記録して回った。調査開始から三日目、ついに信じられない光景を目撃する。

 夕暮れどきの川沿いにある土管のそばで、ヒゲをたくわえた配管工らしき男が目に入った。赤いつなぎ服に帽子までかぶっている。彼は土管のヘリに乗ると、鮮やかなジャンプで中に滑り込み——一瞬にして姿を消したのだ。思わず近づいてみたが、土管の奥は真っ暗で、底が深いようにも見えない。覗き込んでみても何もわからない。

 いや、もしかしたらこういう仕掛けだろうか。まさか本当に瞬間移動が存在するのか? 僕は大急ぎでカメラの録画ボタンを押し、再び様子をうかがう。すると今度は少し離れた別の土管から、同じヒゲの男が“ぴょこん”と飛び出してきたではないか。これは確実におかしい。僕は興奮を抑えられず、手近にあった土管へ自分も足をかける。

 しかし飛び降りるのは少し怖い。おそるおそる腰まで入ったが、何の変化も起こらない。真っ暗な穴に落っこちそうになったので慌てて引き返した。何度か試してみても同じだった。どうやら僕には“瞬間移動”の才能はないらしい。

 翌日、町の下水道管理担当のおじさんに話を聞いてみると、笑いながらこう教えてくれた。 「うちの町には、戦後すぐに整備した古い下水道があるんだよ。入り組んだ迷路みたいになってて、昔は配管工兄弟がそこを使ってショートカットしてたらしい。ジャンプ力も身軽さも人並み外れてたから、土管を使えばすぐ別の出口に行けたんだってさ」

 そうか、あの瞬間移動の正体は下水道という名の地下迷宮。そして、“ただの人間”には到底マネできないような驚異的身体能力。土管自体に謎のパワーがあるわけではないらしい。にもかかわらず、町の住人はずっと「土管に入ったらすぐ別の場所に出られる」と言い伝えてきたのだ。

 その後、僕はさらに几帳面な調査を続けてみたが、どうやら特殊なエネルギーも磁気も存在しない。調査成果は「配管工兄弟による超絶ジャンプ技と迷路状の下水道網」という地味な結論に落ち着きそうだ。しかし町の古文書には「あの兄弟は土管を自在に操る」としか書かれていない。学術的にはまったく証拠不十分。なのに、僕は何度もあの男が飛び込むところを目撃した。

 学会の発表スライドを作りながら、僕は少しだけ悔しい気持ちになる。人知を超えた超常現象は結局見つからなかったが、この不可思議な体験が真っ赤な嘘だとも言い切れない。いずれにせよ、伝説が途絶えないのは、それを信じたいと思う町の人たちがいて、そして本当に土管を使いこなすヒゲの男が今も活動しているからなのかもしれない。

 地質学という固い分野の研究レポートに、最後にこう書き添えておく。「なぜ彼らだけが土管で瞬間移動できるのか、その原因は依然解明されていない。本調査結果はさらなる研究を促す一助となるだろう」と。学問の名を借りてはいるけれど、僕も含めて誰もがどこかで「奇跡」を夢見ている。次こそはあの土管にうまく入り込める日が来るかもしれない——そう願いながら。

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みちパン
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