#113_信州セミナーふり返り

今日は信州に来ている。
学習者主体の学びについて考える場をいただいた。

今、一番課題に感じているのは、職場の方々を巻き込んでの上位概念の共有だ。

中学校は「教授」意識がとても強い。
いかにわかりやすく教えるか?
いかに子どもたちの理解を深める授業をするか?
「教え方」に焦点が当たっていて、子どもの学び方には疎いのだ。

かくいうわたしも、学習者主体ではなく教師主体の授業ばかりしていた。
教え方やネタによって、子どもたちの点数がぐんぐん伸びるのが楽しかった。

でも、今思えばそれって、自分のための授業だったなって思う。
そんなふうには思ってなかったけど、自分の力を誇示するために子どもを利用しているようにも見える。

子どもが自分で自分の学びをデザインできるような力をつけていけるようにする。
そのためには、形態以上に教師の専門性が不可欠だ。
それを強く感じた。

わたしは中学校で理科の面白さに目覚め、理科教師となった。
そのきっかけは、自由進度でも課題選択でもなく、一斉授業での学びだった。

とにかく、自然事象がめちゃめちゃ面白かった。
学校の授業で微生物の観察をしたその日に顕微鏡をねだり、買ってもらったあとに裏の川で水を採集して、微生物を観察した。
授業ではクンショウモやアオミドロ、ミジンコなど多種多様な生き物がいたのに、わたしが見たのは大量のゾウリムシだけだったけど。
それでもめちゃめちゃ、面白かった。

形態は何でもいい。
子ども自身が学びに向かって自走すること。
それが実現できればいいのだ。

今日一番刺さったのは、その子自身が何が見えていて何を学んでいるのかを発言に含まれている接続詞や言葉から見取り、即座にフィードバックすることの大切さ。
単に子どもの意見を紹介するだけではなく、その意味や価値を言語化して子どもたちに伝えること。
これをするためには、教師自身が学び方を会得していることが絶対条件だ。

道徳科における学び方について考えてみた。

1つは一面的な見方から多面的・多角的な見方へと物事の見方を深化させること。
もう一つは、思いやりや感謝などの道徳的価値には、一般性と特殊性があること。そして、その特殊性にこそ大きな学びが潜んでいること。

例えば、きまりを守ることは大切だけど、2つの価値がぶつかったときに最上位の概念ではなくなること。
これは特殊性に当たる。
そして、日常で活用できる多くの道徳的価値は、この特殊性に依存することが多いのだ。

今はちょっと酔いが回っているので思考がとっちらかってるけど
酔いがさめたらもう少し、考えていきたいと思う。

道徳科における学び方は、昨年6月からずっと考えてはいるものの、未だ自分の考えがまとまっておらず、文献もうまく見つけられない秘境の1つ。

まだまだ勉強が足りないな。
今日いただいた刺激をもとに、自分の学びを深めていきたい。

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