#121_「体験格差」を読み解く

「貧困とは、選択肢がないことである」
読み進めてすぐに、ガツンときた言葉。

体験の有無は、豊かさの有無なのだ。
やったことがなければ、好き嫌いはわからない。
見たこと聞いたことがないというだけで、「食わず嫌い」になる可能性も高い。

昔は経済格差も小さく、経済力がなくても豊かな自然体験をする機会がごまんとあった。
豊かな自然体験は、学校教育が脆弱でも、そこから知を掘り起こす底力を培ってくれた。

本著によると、小4までは学習より体験を重視すべきだという。
著者は、学校外の体験として

1.放課後の体験
①スポーツ・運動
②文化・芸術
2.休日の体験
①自然体験(キャンプや登山など)
②社会体験(田植えやボランティアなど)
③文化的体験(動物園や水族館、観劇など)

に分けて調査を行っている。

驚くべきことに、これらの体験が「直近1年間でゼロ」である子どもの割合が、世帯収入の低さときれいに反比例しているということである。
都内と郊外で差がありそうな自然体験でさえ、居住地の格差はほとんどなく、世帯収入の格差が大きいという結果が出ている。
今や「体験」にはお金がかかる時代に突入しているのだ。

無料イベントも数多くあるにも関わらず、このような結果が出ていることにも言及しており、情報を探す労力と繋がりの希薄さから、格差は広がる一方だという。

これらの経験は一つ一つがその子に蓄積されていき、楽しかったという満足感とともに、自分がしんどいときに還ってこれる思い出の場所となる。
これは、わたしたち親世代も同様だ。
「体験してよかった」と思えるからこそ、子どもに同じような体験をさせてやりたいと思う。
自分ができなくて残念だったことがあれば、せめて自分の子どもへの「選択肢」の一つとして提案する。
無理にさせるのではないけれど、体験する機会をつくれるかどうかは、子どもの体験の豊かさ、ひいては人格形成にも大きく影響するのではないだろうか。

わたしは学生時代、様々なボランティアをしていた。
その中の一つ、盲学校の子どもたちを対象に、年6回程度イベントを企画・運営する会があった。
わたしはその代表を務めたが、そのときのコンセプトは「体験する機会が少ない盲学校の子どもたちに豊かな体験を」だったと記憶している。
学生ボランティアが身体的・心理的安全面をサポートし、親だけでは連れて行けないような体験をしようという活動だ。

学生であるが故の視野の狭さや企画の穴も、振り返れば数多くあったけれど、あのときの経験もわたしにとっては今の自分を創る土壌となっている。
懐かしさと共に、そのような体験をさせてくれた子どもたちと保護者の方、そんな環境への感謝の念が湧いてきた。

あの頃は、社会教育に携わることを夢見ていたな。

場所は違えど、今も教育現場にいることに感謝して、子どもたちの幸せのために、未来の社会の幸せのために、体験活動を重視した学びの場をつくっていきたいと思いを新たにした書籍だった。

引き寄せてくれた恩師、Hさんに心から感謝。

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