#242_教科共通の学びと固有の学びを探る

3月1日に「社会×道徳」授業開きセミナーを開催した。
講師は宗實直樹先生。

特にわたしが印象に残ったのは
「社会科を学ぶ価値を明確にする」
「社会科で学ぶ価値を明確にする」
短い言葉の中に
実践と理論を幾度となく往還しながら積み重ねてこられたからこそ言い切れる、言葉の背景の分厚さと
社会科教員としての覚悟を感じた。

対談では、宗實先生の講座を受けてわたしが訊きたいことを窓口に
「授業開きの意味」
「子どもの反応を軸にした”受け”の理念と技術」
「学び方と内容のバランス」
「静かな子どもにスポットを当てるICT活用」
等についてお話いただいた。

また、宗實先生からも
「道徳的価値と生活の往還と特別活動や教科教育との関連って?」
「ぶっちゃけ道徳科って授業後に子どもが動くのが理想?もっと長い未来を見据えて動かなくてもいい?」
「教科書教材と内容項目がずれてることある?そう判断したら教科書や資料に手を入れる?内容項目を変える?」
などのつっこみをいただいた。
(本時の名言:「教科書は”神”じゃない!(紙だけど)」)

宗實先生はすべてを語りきらずに「余白」を残してくださっているからか、お話を伺うほど訊きたいことがどんどん湧いてくるという不思議な感覚を味わわせていただいた。

「コミュニティ・オブ・クリエイティビティ」
ひらめきやアイディアがどんどん生まれてくる場所が、ここにあった。

翌日は富岡でフィールドワーク。
世界遺産の富岡製糸場を半日巡り、富国強兵時代の日本と世界、その中で渦巻く様々な感情に思いを巡らせた。

道徳科は正直、国の思惑が絡んでくる教科。
”誠実であれ” ”博愛の心をもて” ”きまりを遵守せよ”
これらが”指導事項”として公教育の指導要領に書かれているのはなぜだろうか。

「書かれているから」指導するのであれば、わたしたち教師が生きた人間として教壇に立つ意味は薄れてしまうように感じる。

そして、2日間のお話を受けて
社会科は、社会情勢の裏を知れば知るほど
社会事象のどこまでを「教材」として切り取るか迷う、様々な感情が交錯する教科だと感じた。

子どもたちが
自分を取り巻く世界の未来が楽しみになる
でも現実も少しずつ見えるようになる
社会と自分との繋がりを見出し、人と共に生きたいと願う
そんな目と耳と心をもてる人として、成長できる環境をつくっていきたいと強く感じた2日間だった。

次回のテーマは
「道徳科っぽい社会科?社会科っぽい道徳科?」
ー境界線と共通項、差異を探るー(仮)
他教科だからこそ見えるものを、実践と対話を通して探る。

今から楽しみにしてくれている方もいるらしい。
これから企画を練っていこう。

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