#53_道徳科への期待ー方法学会フォーラムを受けてー

「今のよい授業が30年後もよい授業なのだろうか」

問いとしてとても面白いと思った。

教科化で議論されたのは「量的確保」と「質的転換」
小学校では質的転換
中学校では量的確保が大きな課題であるとされた。

中学校の方が、道徳科の課題は山積している。
「まず授業がされない」ということ。
他の教科にすぐに振り返られてしまうこと。
教科化されたことによりかなりの改善が見られた。

一方で、西野真由美先生は「教科化されたことによって、質的転換が逆に見えにくくなった」と指摘していた。

働き方改革の影響も少なからずあると考えている。

金太郎アメのような平坦な授業。
タイパの高い授業が大いに賞賛され、時間をかけてつくる授業は敬遠される傾向がある。
もちろん、タイパは大切。
でも、泥臭く試行錯誤しながら検討した末に見えるものがあることも事実としてある。
質を高めるのに近道ってあるんだろうか。
近道した末に高まったと思える質の高さは、子どもたちの深い学びに繋がるのだろうか。

子ども側から授業をつくることに対する論点もあった。
「子どもにとってどのような意味があったのか。」を考える必要性があるとの指摘もあった。

子どもが拙い言葉で自分の中から論を創り出す。
子ども同士が語り合う中で新しい世界が見えてくる。
大人にとっては物足りない、拙いものであっても、それを続けることで子ども自身が価値を創り出す土台をつくることはできるのではないかと思う。

「教えられる」ことに慣れた子どもたちは、与えられるのを待つ、答えを待つ子どもになる。
自分で見出す楽しさを感じられた子どもたちは、自分で答えを見つけるようになる。
その意味を、その場で教師が価値付けることが何より大切で
おもしろいなって感じる心が何より大切で
そんな道徳科を展開したいなって思う。

「今、ここ、わたし」から「未来、ここではないどこか、わたしではない他者」と出会う場としての道徳科、というお話に大いに納得した。
わたしはここに、わたしの知らないわたしと出会える場、も加えたい。
自分の知らない自分を知る時間となれば、きっと子どもたちは道徳の時間を楽しみに待つ。

学術的な内容が多く、難しさも感じた。
もっと平易な言葉で、わかりやすい、でも面白い道徳の授業をつくっていきたい。
道徳科の可能性と裾野を広げることが、今のわたしの大きな目標だ。


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