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誰かが自分のために祈ってくれるということ

みなさんこんにちは、くるみこです。

今年、厄年のわたし。
先日友人と、厄祓いに行ってきました。
大人になって、自分でお金を払って厄祓いをするのは初めての経験でした。

わたしは早生まれなのですが、去年厄年だった友人何人かから、「厄祓いはとりあえず行っておいた方がいい。わたしも行くまでは大変なことがたくさんあった」と言われたので、年始早々に行ってみました。

厄年って、今までの人類の長い歴史から、「この年に良くないことが起きがち」という統計から導き出されたものなのでは?と思っているので、あながちばかにできないと思います。

お祓いのときに、88個くらいある中から願い事をひとつ選べたので、「日々安寧」を選びました。

お祓いの時に、神主さんが一人ずつ住所と名前とお願い事を読み上げてくれました。
お祓いではおそらく普通のことなのですが、初めての経験だったこともあり、「誰かが自分のためにお祈りしてくれるのって、ありがたいなあ」という気持ちになりました。

そのあとおみくじをひきました。
おみくじって、なんだかいちばん簡単な運試しみたいで、昔から好きです。

今年の初みくじは「吉」でした。
目上の人の引き立てにより思いがけぬ幸福があるそうです。
病気は「思わず早く治る」とあったので、今年は健康でいられるといいな。

おみくじ


メンタルをやられて休職してからというもの、こういう神社での願い事が健康一筋になりました。笑

それまでは素敵な人に出会いたいとか、仕事が上手くいくようにとかいろいろ願ってたのですが、心身の健康以上に重要なものはない!と気づきました。

こんなに健康に気をつけて、健康を祈って、健康しか求めていない暮らしのはずなのに、また休職することになったのはやっぱショックですね。

でも、まだ気づけていない大切なことがあるんだよ、という神様が与えてくれたギフトだと思ってます。

病気や苦しみとは天からのギフトのようなもので、その中にとても大切なメッセージが入っている。だがそれは「不幸印」のラッピングペーパーに包まれているので、たいていは嫌がって受け取られない。しかし、それは受け取らない限り何度でも再配達されてきてしまう。思い切って受け取ってその忌々しい包みをほどいてみると、そこには、自分が自分らしく生きていくための大切なメッセージが見つかる。

「普通がいい」という病

人生で、しんどくなって立ち止まる人もいれば、ずっと元気でいられる人もいて、どうして私は立ち止まってばかりなんだろう、、、と思うこともあります。

でも、そんな時、尊敬しているコーチの方がかけてくださった言葉をよく思い出します。

「くるみこさんは、人よりも辛い思いをたくさんしたけれど、そんなあなたの経験に励まされる人もたくさんいると思う。その経験が、これからの人生で活かされるときは絶対に来る。」

こんな言葉だったと思います。

本人は、こんなこと言ったことを忘れてるかもしれませんが、わたしはとても嬉しかったし、励まされたし、なんだか初めて誰かに自分の経験を肯定してもらった気持ちになれました。
(やっぱりコーチってすごい)

だから、もし同じように苦しんでる方がいたら、この経験がこれからの人生で活かされる時は絶対に来る、と思ってほしいです。

というか、こんなに辛い思いをしたのに、活かされないとか元が取れなさすぎて悔しい。
元が取れるように生きてやるぞ!


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