橋本治「窯変源氏物語」と「おおくぼ源氏」② 夕顔 若紫
「窯変源氏物語」の中に挿入される、おおくぼひさこの写真を語ります
この間YouTubeで二人の若い文化人が、私の好きな画家を取り上げて何か喋っていたので、
「あら、珍しい。マイナーな画家なのに。」
と、さっそく見始めた。
嬉しかったのだ。
でも何だか途中から段々私のほうがピリついてきて、その先を見るのをやめてしまった。
この二人の文化人は、至極真っ当な事を言っていた。理路整然と。
でも何だろう、この違和感は。
しばらく考えていたら何となくわかって来た。
彼らはその画家が絵を通して何を我々に伝えようとしているのかを議論していたのだ。
それはすごく大事な事だと思う。
でもそのスタンスは、私にはなんだか傲慢に思える。
「その作品が何を伝えようとしているのか」ではなく、「その作品の何が私に伝わったのか」という事の方が、やっぱり私にとって大事な事だと思えるからだ。
あのピリつきはそういう事だったのかも知れない。
絵を通して誰かに何かを伝えたい、表現したいという思いは、絵を描く人なら多分誰でも持っている。
でもそれを見た相手に何が伝わるかは、相手次第なんじゃないだろうか。
自分の前にポンと投げ出された作品を見て、アーティストのその作品に寄せる思いを探るのは、とても大事な事だと思う。
でも例えば、私の描いた絵を見て、
「あけみちゃんはこの絵をこんなふうに見て欲しかったのね」って言われるよりも、
「あけみちゃんの絵を見て、私はこんなふうに感じたの」って話してくれるほうがやっぱり嬉しい。
もしかしたら、そっちの方がずっと傲慢な事かも知れないが。
まあ、「おおくぼ源氏」を好き勝手に語ることの言い訳っちゃ言い訳なんですけど。
「夕顔(ゆうがお)」
「空蟬」から「花宴」くらいまでの若い光源氏は結構いろいろやらかしている。
「夕顔」の源氏はその最たるものだ。
なにしろ人ひとり死なせてるんだから。
騒がしい五条の町に住む謎の女「夕顔」に恋をしてしまった光源氏。
この「夕顔の女」は源氏の親友、頭中将の元カノな訳だが、この時の源氏はまだその事を知らない。
騒がしい町を離れて静かな環境を望んだ源氏は
彼が「某(なにがし)の院」と呼ぶ、荒れ果てた院に「夕顔」を連れ出す。
静かな屋敷の中で「夕顔の女」と二人きり、今まで感じたことのない幸福な時間を過ごす源氏。
ところが次の日の深夜、「夕顔の女」は突然うなされて、そのまま死んでしまう。
「夕顔」の巻の源氏はまだほんとに若い。
あまりにも急な恋人の死に源氏はパニックになり、乳兄弟の従者惟光を呼び出して、どーしようどーしようとオロオロするばかり。
お忍びでシケこんだ「某の院」に訳知りで助けてくれる年長者などいない。
私はこの投稿を機に「窯変源氏」と「与謝野源氏」を読み合わせているところだが、こういう場合の源氏は他の「源氏物語」の源氏のように気取ってなどいない。
すごく頼りないし、17歳という年齢相応に短慮だ。
現代の高校生が心霊スポットで、連れて来た女の子に突然死なれて「ヤバいヤバいヤバい!」ってなってるのと同じ感じだ。
結局、惟光の必死の采配でどうにか女の遺体を「始末」する事ができたが、事ごとにそういう主人の尻拭いをさせられる惟光には同情しかない。
「某の院」で突然「夕顔の女」がうなされ出した時、源氏は自分の枕上に座る女の姿を見る。
女は源氏に向かって何か恨み言を言いながら、眠っている「夕顔の女」に手を伸ばそうとしている。
この時はまだそれが「六条御息所」の生き霊だと源氏は気づいていない。
その事を知るのは、もっとずっと後になってからの事だ。
そうして「夕顔の女」は死んでしまうのだが、このシーンの写真はやっぱり不気味だ。
薄暗い部屋の壁いっぱいに、大きな人影がぬっと伸びて立ちはだかり画面のほとんどを覆っている。
その影にのしかかられるように画面の隅に女物の小袖が頼りなく投げ出されている。
うっすらともやのかかったその人影は、でも女性には見えない。
考えてみれば「某の院」は人の住まない廃墟だ。
「六条御息所」の生き霊に招かれ、有象無象の怨霊が姿を現したとしてもおかしくない。
源氏に背かれた「六条御息所」の空虚。
人が住む事のない「某の院」の空虚。
「夕顔」の巻の主役はもしかしたらこういった、人ならざるものたちなのかも知れない。
「若紫(わかむらさき)」
この章に登場する少女は、後に光源氏の最愛の人となる「紫の上」だ。
「紫の上」という人は源氏に誰よりも愛されて、でも本当に幸せだったのだろうか。
ずいぶん酷い目にあってると思うけど。
幼い頃に突然源氏に拉致されて二条院に連れてこられ、やがて兄とも父とも慕う源氏に犯され傷つき、長じて後は若く高貴な姫君と源氏との結婚を黙認させられる。
意地の悪い言い様かも知れないが、この人はそういう人なのだ。
「若紫」の巻は、18歳になった源氏がわらわ病み(マラリア)に罹かり、その治癒を願い北山の行者を訪ねるところから始まる。
年老いた行者の懇ろな加持祈祷が終わり、春真っ盛りの野に出た源氏はそこで品の良い一軒の僧坊を見つけて、中の様子を見るともなく覗き見る。
まったく、この時代の貴族の男ってそこら中で覗きばっかりしてんだから。
ここからがよく古典の教科書に出てくるところ。
僧坊の中の巻き上げられた簾の奥に、ちょっと艶っぽい尼僧とそれに仕える女房の姿が見える。
そこへひとりの少女が泣きながら駆け込んで来て、
「犬君が雀の子を逃したのォ!」
と、尼僧に訴える。
この尼僧は少女の祖母らしい。
中学だか高校だかで散々やったところだ。
源氏はこの少女を見て、何がなんでも彼女を連れて帰りたいと思う。
それはその少女が、自分が苦しい恋をしている「藤壺の宮」に似ていたから。
この章には寝殿造りの屋敷の写真が使われている。
重い妻戸が大きく開かれ、その奥には豪華な御簾が下がっている。
手前の高欄には小さく可憐な折り鶴が置かれ、現代的な柄の白いレースが掛けられている。
「犬君が雀の子をにがしたのォ!」と、泣きながら駆け出してきた少女の視界をこちらが見ているかのように、画面は斜めに大きくかしいでいる。
高欄に掛けられた白いレースも高欄をぐるりとひと回りして左上に引き上げられ画面から消えている。
とても疾走感のある写真だ。
この時代に貴族の少女が「駆け出してくる」というのは、ありえないシチュエーションだ。
この不敵な自由さに、源氏は持っていた扇を取り落としそうになるほど愕然とする。
その姿はかつて童形だった自分が、なんの躊躇もなく大好きな「藤壺の宮」の御簾内に駆け込むことの出来たあの頃を思い出させたからだ。
この章にはもう一枚、別の写真がある。
真っ黒な闇をバックに、こちらに背を向けた女の姿がくっきりと白く浮かび上がっている。
まっすぐな櫛目の入った金髪が背中にかかる。
「若紫」の巻では源氏と正妻「葵の上」との不幸な結婚生活も語られる。
左大臣家に生まれた「葵の上」は、いずれ天皇の妻となり国母ともなるよう育てられた娘だ。
それが元服と同時に降籍され、一介の臣下となった源氏と結婚させられる。
YouTubeの動画の中で橋本治が話しているのを聞いた事があるが、この時代元服して初めての性交渉をもつのは「添い伏し」という身分の劣る女で、末は中宮ともなろうかというような左大臣家の姫が務める仕事ではなかったそうだ。
「私、添い伏しなの?」って、橋本治がかわいく言ってたのが忘れられない笑。
たしかに「葵の上」にとって、これぼど不本意な話しはなかっただろう。
写真の女は「葵の上」なのかも知れない。
彼女は髪を左右から少しずつ取って、それを後頭部で交差させゆったりと結んでいる。金色の水引で作った「結び切り」のようにも見える。
彼女が背を向け、結んだ髪で拒絶しているものは一体何だったのだろう。
自身の不遇か。源氏の不実か。
やがて彼女は源氏の子を身籠り、その「水引」が解ける日が来るのだが、それはとても悲劇的なものでもあった。
物語りとはそうしたものかも知れないが、光源氏にはひとこと言ってやりたい事がある。
「誰か一人くらい幸せにしてやってよ〜!」
まあ、愛してるから別にいいんだけど。