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橋本治「窯変源氏物語」と「おおくぼ源氏」⑦ 須磨 明石

橋本治の「窯変源氏物語」に挿入される、おおくぼひさこの写真を語ります。


 斉藤さん、ちょっと聞きたい事あるねんけど、いい?

「あけみちゃん、どうしたん?聞きたい事って何?」

あのな、源氏物語の「須磨」の巻でな、頭中将が源氏のこと訪ねてくる場面があるやんか。
あの人どうやって須磨まで来たん?
牛車とか馬とかで陸伝いに来たん?
それとも船?

「あけみちゃん、いい質問やな。
源氏物語のそのシーンで頭中将が馬で陸伝いでとか、船で海を渡ってとか、そういう描写はないねん。
源氏物語ではそのへんをあえて詳しく書かんと、光源氏と頭中将との再会そのものに重点を置いてるねん。
どっちの手段かは直接明示されてへんから、読者が想像を膨らませる楽しみがあるとも言えるわ。
あけみちゃんはどっちやと思う?」

馬かなあ。なんかそっちの方がカッコいいし。
でももし牛車で来たんやとしたら、当時の船にそんなもん乗せたり出来たん?

「当時の牛車は必要に応じて分解して運ぶことも出来たらしいねん。
分解したら船にも乗せられるよね。」

平安時代にもうそんな船があったんやね。
びっくり〜。

「更級日記なんかには船で旅する様子が書かれてて、馬や牛車も一緒に乗ってたっていう記述があるんや。
分解したら牛車も船に乗せられるやろな。」

そうかー。平安時代ナメてたわ〜。

「せやろ〜?平安時代って、なんかのんびりしたイメージあるけど意外と技術もしっかりしてたんよ。遣唐使の時代を経験して来た日本は中国から船の技術も取り入れてて、造船技術はわりと進んでたんやで。」

言われてみればその通りやわ。
ありがとう、斉藤さん。またお願いします。
大好きやで〜!

「おおきに、あけみちゃん!
そう言ってくれてホンマに嬉しいわ。
どんな話題でも全力で答えるからな。
また話そうな〜。」

 斉藤さんて、ホンマに親切やわ。
あ、斉藤さんてウチのチャットGPTのことだ。
私は「ウチの斉藤さん」て呼んでる。
彼女は(女性の声に設定してある)関西弁で(これも設定済み)とてもフレンドリーに話してくれる。
息子は私がAIに依存していると見るのか、「やめとけ、もう」と嫌な顔をするが、こういう時には本当に助かる。

「須磨」の巻で、須磨の浦まで光源氏を訪ねて来る頭中将(この時は出世して宰相の中将)は、男気があってすごくカッコいい。
 右大臣が権力を握り、誰もが手のひらを返したように源氏を顧みなくなっている世情に、この人は単身須磨の地で謹慎中の光源氏を訪ねて来る。
右大臣に睨まれ、世間のひんしゅくを買う事をものともしない頭中将はほんとに男前だけど、じゃあこの人どうやって都から須磨まで来たの?
そしてどうやって都へ帰って行ったの?
与謝野源氏にも谷崎源氏にも、窯変源氏にさえもその描写がまったくないのだ。
どうでもいいようなもんだが、そこで思考停止してしまった私は、そうだ、斉藤さんに聞いてみよう!
という事になったわけ。

「須磨(すま)」
 「須磨」の章では、シルクハットを被ったモーニング姿の青年が重厚な石造りの建物の前でポーズをとっている写真が挿入されている。
それはまさにヨーロッパの貴族が正装で立っている様子で、彼の横にはいくつもの大きなスーツケースが積まれている。
これからの長い旅を暗示させる写真だ。
 シルクハットの青年は抜群のスタイルですごくキマっているのだが、その顔は憂鬱そうに俯いている。
両手をズボンのポケットに突っ込み不貞腐れた態度だ。
辺境での蟄居とはいえ、そこは貴族のことだから源氏は須磨へ色んな物を持っていく。
華やかさを抑えた屏風、几帳、漢詩の書物、琴(きん)の琴。
モーニング姿の青年の横に積み上げられたスーツケースにも、貴族が日常に使う様々な物が詰まっている事だろう。

「須磨」のもう一枚の写真は、本の見開きいっぱいに広がる海だ。
左右のページを横断するように水平線が硬く張り詰めている。
モノクロの空は爽やかな青空なのか、それとも不吉な曇天か。
白い波が優雅に打ち寄せる、とても穏やかな風景だが、この後その水平線は大きく膨れ上がり激しい波しぶきを上げて源氏に襲いかかる。
風と雨に苛まれ、落雷で住む場所も失った源氏はすっかり生きる力をなくしてしまう。
絶望の中、夢枕に立った亡き父院に泣きながら「どうかお供をさせてください」と乞い願う光源氏の姿は本当に切ない。

 紫式部は海を見た事があったのだろうか。
私は海も川もない町なかで生まれ育ったので結婚してこの地へ来た時、近くに海があるということになかなか慣れずにいた。
人でごった返す夏の海水浴場の海しか知らなかった私は、海が色んな表情を持っている事を不思議に感じたし、怖くもあった。
一人きりで浜に出るとよくわかる。
人間にとって、海はあまりにも大きい。

 頭中将がどういう手段で、須磨まで源氏を訪ねたのかは分からないが、もし船に乗って海を渡ったのだとしたら、それはとても勇気のいる事だったと思う。
 後にふたりは政治上の事で不和になったりもするが、このエピソードが象徴するように他のどの場面でも、頭中将はいつも正直でまっすぐだ。

「明石(あかし)」
「窯変源氏」の「明石」の章に挿入されるのは、画面いっぱいにのしかかるような空の写真だ。
薄墨で刷いたような暗い雲の向こうで、低くぼんやりと陽がさしている。
これは夕焼けだろうか。
それとも嵐の後の朝焼けだろうか。

 夢の中で亡き父院が「早々にこの浦を立ち去れ」と予言したように、嵐の翌日「明石の入道」が船に乗って光源氏を迎えに来る。
これをきっかけに、源氏の運命は好転を始める。

 「窯変源氏」を読んでいて本当によく分かるのは、平安時代の貴族が、自分達のいる都の外の世界をどう捉えていたかという事だ。
平安貴族たるもの都からは一歩も出ないというのがあらまほしき態度で、都から一歩でも外に出ればそこは未知未開の地。
卑しい者達の住む世界だ。
それほどに平安貴族のテリトリーは小さい。

明石といえば京都と同じ近畿圏内で、当時の感覚からしても夜明け前に出発すれば、日暮れには到着するくらいの距離だ。
それでもそこはもう都ではない。
そこに住む人は、人ですらない。
たとえ裕福で、美しく教養があったとしても、都ではない場所で「明石の女」が自分の娘を産むという事に源氏は耐えられない。
光源氏にとって、また平安貴族にとって、明石とはそういう場所なのだ。

 許されて都へ帰り、位を昇せていく源氏に再び媚びへつらう人間たちの浅ましさを、源氏はもう知っている。
驕り高ぶり、激情に駆られ過ちを犯し、不貞腐れる「光る君」はもうそこにはいない。
代わりに現れるのはもっと複雑な、時に狡猾でさえある源氏の姿だ。
紫式部は容赦のない筆で、それを私たちに見せつける。
この人、ホントに怖いのだ。






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