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橋本治「窯変源氏物語」と「おおくぼ源氏」③ 末摘花 紅葉賀

「窯変源氏物語」の中に挿入される、おおくぼひさこの写真を語ります


 多分言っても誰も聞いてくれないと思うから、今まで人に話した事なかったけど"ラップ"と"和歌"って似てると思うのだ。

 そもそも「源氏物語」ってなんであんなに和歌が出てくるんだろう。
手紙や御簾越しのやりとりならまだわかるが、もう死にかけてるとか、死ぬほど情けない目にあってる人でも、やたらと和歌を詠む。
「えっ、ここで和歌詠むの?」
っていうようなシチュエーションでもお構いなしだ。
 以前、女房文学は今で言う少女まんがだと書いたが、その論でいけば和歌は、まんがの中の登場人物の心象風景?のようなものなのかも知れないと思っている。
よくまんがの中で挿入される「ポエム」だ。
吹き出しの中に入らないセリフ。
萩尾望都の「ポーの一族」などの、耽美派のまんがの中にはこういった「ポエム」が満載されている。
女の子たちはこの「ポエム」に酔い、ため息をつく。

 そこで「ラップ問題」だ。
ラップには掛詞が欠かせない。
そしてラッパーは韻を踏むことに命を懸けている。

これって和歌じゃん。

Creepy Nutsの「bling bang  bang born」を聴いていて、ふとそんな事を思ったのだ。
 私はラップとヒップホップの違いも知らないしDJが何をする人なのかも今だにわからない。
でもCreepy Nutsの、あの歌ってる人の声はすごく美しいし滑舌がいいので、何を言ってるのかおばさんにもよく分かる。 

「あ、キレてる 呆れてる」
これって和歌じゃん。

「松つ」は「待つ」、「長雨」は「眺め」。
恋人からのラブレターにはちゃんと韻を踏んで返歌を送る。

 どの方面からも怒られそうなのでもうやめとくけど、そんなふうに「源氏物語」の中の和歌を読むとすごく楽に読める事に気がついてしまったのでもう引き返せない。

「源氏物語」は「歌物語」でもある。
そのくらい和歌がたくさん出て来る。
 私は昔からこの和歌がめんどくさくて、煩わしくて、読みもしないですっ飛ばして来たが、頭の中で翻訳するという努力をやめてしまったら、不思議なことに和歌がすんなりと入って来るようになった。
歌の意味を探るよりも、五七五七七のテンポ、韻、掛詞で平安貴族が遊んだように、リズムに乗って言葉を操る面白さを楽しむ。
私はその事をラップの人に教えられた気がする。

「末摘花(すえつむはな)」
この章の女主人公「末摘花」は、和歌が苦手な人だ。
苦手どころかほぼ詠めない。
それよりももっと源氏を愕然とさせたのは彼女の容貌だった。
「末摘花」は宮家の姫とは言え、親に死なれて何の後ろ盾もなく時代に取り残されてしまった深窓の姫君で、源氏はそんな彼女の境遇に幻想を抱く。
強引に付き合ってはみたものの、その姫のあまりのドン臭さに幻滅してしまう。
しかし、なにしろ宮家の姫君に手をつけてしまったのだから責任とるしかない。
 そんなある雪の朝、源氏は「末摘花」の顔をつぶさに見てしまう。
 もうやることやってんだから、「え、今?」というようなものだが、この時代の恋愛は基本的に真夜中が舞台だ。
夜の暗さは今とは比較にならない。
しかも男は真夜中にやって来て、明け方には帰って行く妻問婚のスタイルだ。
灯火を女に押し付けてまざまざと顔を見るなんて事は、ありえない侮辱だった。

雪の照り返しの中で見た女の顔は信じられないくらい面長で、その真ん中に普賢菩薩が乗っている白象の鼻のように長い鼻が垂れ下がっている。
しかもそれが寒さのせいか真っ赤に色づいて、源氏を怯えさせる。
 象の鼻なんてちょっとオーバーな気がするが、多分鷲鼻かローマンノウズのことを言ってるんじゃないだろうか。
つまり「濃い顔」という事なんだと思う。
現代の基準で言えば、もしかしたら美人の部類かも知れない。
でも時は平安時代。
ふっくら丸顔に引き目カギ鼻の当時の日本人の感覚からすれば「象の鼻」くらいに見えたって、そりゃ仕方ない。
 私は以前からこの「末摘花」の容貌に「モナリザ」をイメージしていた。
あの人眉毛ないからちょうど平安時代の女性をイメージするのに持ってこいなのだ。
ちなみにルネサンスの女性の肖像画を検索してみたら、「末摘花」のオンパレードだったのでびっくりした。

 この章の写真は薄暗い部屋のブラインドの奥にシルエットで浮かぶ花だ。
末摘花とはどんな花なのか。
再び検索してみると、撫子とか紅花とかの写真が出てくる。
ブラインドの奥で黒く浮かび上がる花は何の花なんだろう。
「それは幻想ですよ」と言わんばかりに、写真の花はピントから外れようとしている。

「末摘花」の巻で紫式部は、これ以上ないほどこの姫君をおちょくっているが、こういう境遇の女性は当時はいくらでもいたのだろう。
 紫式部はこんなふうに女に手厳しいが、男に対してもそれ以上に手厳しい。
「何を夢見ているのか知らないけど現実を見なさい、現実を!」
 廃屋に住む深窓の姫君に愛を捧げるという男の幻想を、徹底的に嘲笑う章でもある。
ちなみに「花」はもちろん「鼻」に掛かっている。

「紅葉賀(もみじのが)」
「紅葉賀」の光源氏は今までで一番ヤなヤツだ。
ザ・傲慢。
先の帝、一の院への行幸(みゆき)を控えて、桐壺帝は清涼殿の前庭で「試楽の儀」を催す。
言ってみればお父さんの50才のバースデーに35才の息子がお祝いに行って、プレゼントとして孫の光源氏のダンスをお見せするということ。
「試楽」はそのリハーサルだ。

試楽には本番を見る事の出来ない後宮の女たちも招待される。
もちろん帝の妻である「藤壺の宮」も列席する。
頭の中将と共に「青海波」を舞う源氏は、ただただ遥かむこうの御簾内にいる「藤壺の宮」にだけ神経を集中させる。
さあ、ご覧なさい。この私の美しさを!
この時の源氏は完全にイッちゃってる。
他のものなんて目に入らない。
ていうか、どーでもいい。

源氏は自身が「光を纏う闇」となって萌葱色の衣装の袖を振り上げ舞う。
「窯変源氏」のこの場面の源氏には狂気さえ感じる。

 紅葉の賀の本番も終わって、源氏は三条院へ出かけて行く。
三条院にはお産のために里帰り中の「藤壺の宮」がいる。
源氏との秘密の子を身籠った「藤壺の宮」を見舞うための「公式」な訪問だ。

「藤壺の宮」の事になると源氏はもう人が変わった様に身も世もなくなる。
それほど「藤壺の宮」を愛しているのだ。
 間に女房を介しての他人行儀な会話を源氏が情けなく感じている時、そこへ「兵部卿の宮」がやって来る。
「兵部卿の宮」とは「藤壺の宮」の兄であり、源氏が二条院で密かに育てている「若紫」の父でもある人だ。

あんた自分の行方不明の娘がどこでどうしているか、気にはならないわけ?
結構なご身分ですこと。

この時の源氏は、「兵部卿の宮」を心の中で蔑んでもいる。
そんな時、「日が暮れたから」と言って「兵部卿の宮」は「藤壺の宮」の御簾内へスタスタと入っていってしまう。
簾一枚隔てて、兄というだけで「藤壺の宮」の御簾内へ入ることを当然のように許される「兵部卿の宮」と、決して許されない源氏。
さっきまでこの「兵部卿の宮」を侮り、何につけても自分の方が優れていると優越感に浸っていた源氏の心はズタボロにされてしまう。
ザ・傲慢の敗北だった。かわいそう泣。

 「紅葉賀」には差し伸べられた扇子の写真が挿入されている。
写真の扇子は女性用のアールデコ調の扇子で、それを勢いをつけてサッと振り上げた様に輪郭がブレている。
「青海波」という舞楽は、萌葱色の衣装の大きな袖を優雅に翻す舞だ。
差し伸ばし、翻す。
このアールデコの扇子は、「青海波」の舞を連想させる。

 「紅葉賀」のもう一枚の写真は、もうそれはそれは美しい。
紅葉の枝を背景に、オールバックの美青年が物憂げに目を伏せている。
その視線は斜め下に注がれ、長いまつ毛を強調させる。
ダイヤのピアス、端正この上ない鼻、口。
凶々しいほどに美しい。

この美青年の写真を見て、自分を「紫の上」や「六条御息所」に置き換え、ため息をつくことも出来るだろうに、私は「弘徽殿の女御」になってしまった。
「弘徽殿の女御」は春宮の生母であり、また源氏の母「桐壺の更衣」を貶め、死に追いやった人でもある。
彼女は源氏の一挙一動がことごとく気に入らない。
それは夫である桐壺帝が妻である自分や、息子である春宮を差し置き、源氏を愛しているから。

「なんという恐ろしくも凶々しいお姿であろうか。今この地に鬼神も姿を表して攫って行きそうな按配ではないか!」

 つまりそれほど美しいということだ。

自分が「弘徽殿の女御」と同じ意見だと思うとちょっとヘコむ。
なぜかというと「弘徽殿の女御」はこの物語の中で源氏を愛さない、ただひとりの人だから。
私は恋に落ちたはずなんだけど…。



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