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私という人 ~重なる偶然~

東北地方の冬

深夜の国道は凍結していて

加速をして走るものではない。

私は助手席に乗っている。

シートベルトはせずに

運転席へ体を向けて。

「やべっ」と聞こえた瞬間から

私の記憶は断片的にしかない。


午前四時

自宅の電話が鳴り

母は勢いよく電話に出た。

警察からだ。

「〇〇さんのお宅ですか?」
「娘さんが事故に遭いました」

母は

やっぱりなと思ったという。

母の勘は間違ってはいなかった。

私が出掛けたあと

眠れず起きていたらしい。


時速は分からないが

速かった記憶は残っている。

凍結した路面でハンドル操作を

誤ったことが原因だ。

中央分離帯に衝突し

私たちは車外に

投げ出されていた。

後輩二人はフェンスに引っ掛かり

私は他の後輩と

畑に飛ばされ倒れていた。

明け方の衝撃音に

気づいてくれた方々が

通報してくれたのだ。

大破した車を見て

さぞ驚いたことだろう。

警察や救急隊の方は

事故現場を見て

言葉を失ったという。

廃車になる程の車を見て

誰も助からなかったなと

駆けつけた全ての人が

そう思ったと言っている。

畑に倒れている私たちは

気づかれていなかった。

救出された後輩は

「みんな無事ですか?」と

救急隊員に問いかけ

意識を失った。

「みんな」という言葉に

疑問があり周囲を捜索。

反対車線の畑まで

飛ばされていた私たちを

見つけてくれたという。

投げ出された場所が雪の積もった

畑だった事で

全身を強く打っていても

助かることができた。

フェンスに引っ掛かった後輩は

凍結した路面に

叩きつけられなかったので

こちらも怪我はしていたが

助かることができた。

誰もが驚くほどの大事故。

後輩たちは

足や腕、肩などを骨折していたが

私は後頭部を数針縫う程度だ。

搬送されたとき

六人ともガソリン臭く

誰かがタバコでも吸っていたら

車とともに

燃えていただろう。

積雪の上だった事

フェンスに引っ掛かった事

後輩の意識があった事

車が燃えなかった事

誰もが驚く事故だったが

小さな偶然が重なり

命に別状はなかった。


もちろん私の事故は

学校に連絡が入り

すぐに担任が見舞いに来た。

「無事でよかった」と

鼻水を流しながら嗚咽し

引くほど泣いている。

今の時代に

こんな熱い先生は

少なくなったことだろう。


退院した私は

新学期が始まる前だというのに

学校に来ている。

卒業間近であり

クラスメートとともに

卒業するため

反省文を書かせられている。

原稿用紙は何枚あったのか

よく覚えていないが

反省文にしては

多すぎる枚数に

言葉が出なかった記憶はある。

もちろん一日では

書き終えることが出来ず

一週間ほど登校していた。

事故を聞いたМが

登校に付き合ってくれた。

そんなМから

事故だったのに新聞とか

ニュースに出てなかったけど

なんで?

と聞かれた。

大した事故じゃなかったから?

いやいや大事故だったな。

小さな事故でも

地方局のニュースに

取り上げられるけど

私たちの事故は

全く流れなかったという。

私は母に聞いてみることにした。


・・・・・・・・続く









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