続ハタラクノコトその1
冊子を作りたい
初めて、ある冊子を読んだときからずーーーっと考えていた。今日ちょうど今年で大学を卒業された方(ここらへんのコミュニティの人たち、年上だけど先輩ではないし、かといって友人はおこがましいかなぁと思うといつも呼び名に困る)が卒業を節目にして書いた冊子が届いて、読んだ。まだ読み終わってないけど、私も冊子を作りたい!!という気持ちが抑えられなそうなので、とりあえずnoteに書いておく。
ある冊子とは、自分の父が編集した冊子である。その冊子の名前は「ハタラクノコト」
(噂によると自分たちの結婚式の引き出物にしたらしい、よくやるなぁ)
この冊子は、母も含めた、父の様々な場所での知り合いに自分にとっての「ハタラク」がどういうものかインタビューした記事をまとめたものだ。
そこに書いてある「ハタラク」はただ職業としての「働く」だけではない。それは日常の小さなもやもやだったり、喜びだったり、暮らしだったりする。職業として働く/働かない関係なく、もっと大きい、生きることとしての「ハタラク」を彼は冊子にしたかったんだと思う。たぶん。
1番好きな文章は、まえがきの部分、ここを読んだ時父とは家族関係ではなくて同世代の友人として出会えたらよかったのになぁとわりと本気で思った。
多分、「ハタラク」は労働だけじゃなくて、もっとたくさんの意味を含んでいるんだと思う。
私は今大学3年生で、世間の大学生の大半としては就活が本格化してくる時期にいる。研究をもっとしたい、という理由で大学院進学を希望していて、それを理由に就活にはちょっと消極的かもしれない。でもそれは働きたくない、こととイコールではないのだと思う。わたしにとって働くことは職を選ぶことだけではない、どこで誰とどうやって生きていくか、だし働かないことも含めた「ハタラク」なのだ。だからこそ私は学生のうちに、誰かにとってのハタラクを、私にとってのハタラクを、よくよく考えてみたい。自分の選択に今は間違いはないと思っているのに、どことなく周りを見て焦ることはこれからもっと増えていくと思う。なんとなく焦ってしまう私と、焦らせてくる社会に、立ち向かうために、自分から立ち止まる時間を見つけたいと思う。その一つに「続ハタラクノコトその1」がなってくれるんじゃないかと思う。
ここまで冊子を作りたくなっちゃった勢いで書いてきたけれど、この冊子が作り終わるとすればそれは4年後である。しかもその時私は(きっと)修士の学生で、まだ「働いて」いない。だからその時の立場で「続ハタラクノコトその1」を書きたい、編集したい、と思う。もし本当にその1が完成して、その先にその2があったら、それはなんだかとてもおもしろいことな気がする。
いつか、その冊子を本当に作る時は早めに依頼をするのでどうか協力してください。ぜひ、あなたにとっての「ハタラク」を教えてください。
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