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歴代レスラーの看板タイトル戦勝利数

歴代のプロレスラーの格付け的ランキングの第二弾。プロレスラーの、各団体の看板タイトル戦での勝利数ランキングをお届けします。
プロレスのタイトル戦の価値をどう見るかは様々ですが、やはりそこで多くの回数勝利しているレスラーは、試合を構成し、観客を引き込む技量において、卓越していると考えるのが妥当でしょう。
ただタイトル戦もピンからキリまであるので、メジャーと言われた団体(日本、新日本、全日本、NOAH)の、その団体の看板タイトル=フラッグシップ・タイトル、および、その団体の最高権威である公式リーグ戦(ワールド・リーグ、チャンピオン・カーニバル、G1など)の決勝戦での勝利数に限定しております。
なお引き分け防衛は、カウントに入れていません。またあくまでも国内の試合での勝利数に限定、NWA世界王座など海外のタイトル戦での勝利数は含まず、アジア王座など、地域限定タイトルの勝利数も入れていません。

1位 ジャイアント馬場    92勝

東京大会のメインエベント回数では1位を譲った馬場ですが、こちらでは堂々の1位獲得です。デビュー5年2か月、27歳の時にブルーザーを破ってインターナショナル王座を獲得したのが初戴冠です。
日本プロレス時代に42回、全日本になってからは、オープン選手権の優勝を含めると50回の勝利をおさめています。47歳になった1985年のラッシャー木村とのPWF戦が最後の勝利ですから、20年はトップに君臨していたことになりますね。

2位 アントニオ猪木     51勝

猪木の場合、日本プロレスではワールドリーグ戦での優勝(デビュー9年8か月、26歳)以外は、2番手タイトルのUN王座しか戴冠がなく、新日本になってからのNWF王座からが本格的な王者ロード。しかも81年にそのNWF王座を返上して、以降は年1回のIWGPを除いて、しばらくタイトル戦を行っていなかったので、馬場とは差がついてしまいました。
逆に言うと木村戦、ブロディ戦など、タイトル無関係に、猪木ブランドだけで大観衆を集めていたのですから、やはりスーパースターということですね。

3位 オカダ・カズチカ   42勝

さてここからが前回のメインエベント記録と違っていて、面白いところです。オカダ・カズチカが2012年から2023年までの12年間だけで、これだけの勝利数をあげ、3位に食い込んでいるのです。
棚橋を破って初のIWGP王座に就いたのが、デビュー7年6か月、25歳の若さ。それ以降、黄金期と言われたブシロード時代の新日本で、馬場、猪木の全盛期に劣らぬほどの、主軸ぶりを見せつけました。
このまま行けば馬場、猪木の領域も見えていたのですが、海外転出してしまいました。これだけ絶大な信頼感のあったオカダが抜けた穴は、小さくないと思いますね。

第4位 三沢光晴    39勝

第4位 武藤敬司    39勝

と、ここでまた三沢と武藤が並ぶんですよね。このへんが記録の面白いところで、2人のレスラーバリューの高さと、その互角ぶりが表れています。
三沢はタイガーマスクとしてのジュニア王座を経て、デビュー11年、30歳の時に三冠王座を獲得。以降、四天王の中核として、防衛ロードを続けました。NOAHになってもGHC王者となり、常に団体の顔として活躍。
武藤もデビュー7年11か月、30歳の時にグレート・ムタとしてIWGP王座を初戴冠、全日本でも三冠、NOAHでもGHC王者となり、メジャー団体の三大タイトルを制覇しましたね。
プロレス界の絶対的看板選手としては、馬場、猪木に次ぐのは三沢、武藤ということは云えそうです。

第6位 棚橋弘至    38勝

第7位 宮原健斗    35勝

このあたりのランキングも、なかなか興味深いところです。
棚橋はデビュー6年9か月、30歳の時にジャイアント・バーナードを破って、初のIWGP王者になりました。新日本復興の立役者なのでこの数字は当然と思えます(むしろオカダより少ないのが意外なくらいです)。
驚いたのは宮原健斗の方ですね。2016年にゼウスを破り、デビュー8年、27歳で三冠王者となり、以後何度も同王座を獲得しています。しかし、現時点でここまで勝利数を重ねているとは思いませんでした。
時代の違い、団体の興行規模の違いはあるにせよ、宮原は「団体エースとしての絶対的な信頼感」を持った、レスラーの1人と云えるでしょう。

第8位 橋本真也     27勝

第9位 ジャンボ鶴田   25勝

    佐々木健介    25勝

このへんになってくると、少し切なくなってきます。
橋本真也はデビュー9年、28歳の時にムタを破ってIWGP王者に、佐々木健介はデビュー11年6か月、31歳の時に天山を破ってG1クライマックスに初優勝、すぐにIWGP王座を獲得しました。
2人とも団体のプッシュを受けていたことは明らかで、後半のレスラー人生が色々とゴタついたことを考えると、それが良かったのか悪かったのか、ちょっとわからないところもあります。
ジャンボ鶴田はUN王座は25歳で獲得しているのですが、団体の看板タイトルとなると、1980年のカーニバル初優勝(デビュー7年1か月、29歳)が初となり、本格的には83年のインター王座獲得からがエース時代の幕開けということになるでしょう。
その実力ぶりからは、もっと勝っていて不思議はないのですが、やはりエースとしての信頼感は今一つだったということでしょうか。
とはいえ、初の三冠統一王者は、やはりジャンボ鶴田だからこその納得感があり、その防衛戦で見せた怪物ぶりは、素晴らしいものでした。

というところがベストテンになります。11位以下を見てみますね。

第11位 永田裕志    24勝

     杉浦貴     24勝

     諏訪魔     24勝    

第14位 小橋建太    22勝

第15位 力道山     20勝

     清宮海斗    20勝

第17位 潮崎豪     18勝

     藤波辰爾    17勝

     川田利明    17勝

第20位 鈴木みのる   15勝

永田、杉浦、諏訪魔と、地味に団体を支える実力派が、11位に並ぶところが面白いところです。
小橋は、怪我がなければ、もっと勝利数を重ねたことでしょう。
力道山は、日本&アジア王座を除くと、インター王座&ワールドリーグ優勝で、この回数になってしまいます。
この力道山に、清宮海斗がすでに並んでいるという事実を、どう受け止めるかですが、彼もまた「団体エースとして選ばれた男」のレスラー人生を宿命づけられている、と云えます。
藤波は長州と抗争したWWFインターを計算に入れれば、もう少し勝ち星は伸びますが、いずれにせよ猪木政権のあおりを食った上に、IWGP王座を取ったところでの長期離脱と、巡りあわせに不運があったレスラーと云えるでしょう。

ということで、「東京の大会場のメインエベント回数」のランキングとは、少し違う結果が出ましたが、いかがでしょうか。



      

   

  



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