戦後「歌謡&JーPOPの歌姫」の記録
女性ソロアーティスト、女性グループで、その年のシングル売上最高枚数をあげた人を「歌姫」とし、その歴代のリストを作りたいと思いました。
もちろんオリコンの記録を調べれば簡単に作れるのですが、ただオリコンチャートは1968年の誕生なので、それ以前の記録も含めた、戦後の歌姫史を俯瞰するリストを作りたいと思いまして。非公式なものながら、該当する資料があったので、参考として付け加えてみました。その結果、なかなか面白い発見のあるリストが出来上がったので、ご覧ください。
1945年~1949年(参考記録)
1945年 並木路子「リンゴの唄」
1946年 川田正子「みかんの花咲く丘」
1947年 菊池章子「星の流れに」
1948年 笠置シヅ子「東京ブギウギ」
1949年 美空ひばり「悲しき口笛」
やはりこの、戦後のヒット曲第1号と云われる「リンゴの唄」に遡った、歌姫史をやってみたかったんですね。
そうすると、戦争の傷を癒すようなムードの曲の中で、いきなり笠置シヅ子の「東京ブギウギ」が現れた衝撃というのが、追体験できます。
しかもその翌年には、天才少女歌手・美空ひばりが出現するという展開の速さですから。
1950年~1959年(参考記録)
1950年 美空ひばり「東京キッド」
1951年 美空ひばり「ひばりの花売り娘」
1952年 江利チエミ「テネシー・ワルツ」
1953年 織井茂子「君の名は」
1954年 美空ひばり「ひばりのマドロスさん」
1955年 島倉千代子「この世の花」
1956年 大津美子「ここに幸あり」
1957年 美空ひばり「港町十三番地」
1958年 島倉千代子「からたち日記」
1959年 ペギー葉山「南国土佐を後にして」
美空ひばりという人は、オリコン誕生以降の売上ではその偉大さは確認できないのですが、こうしてみると「戦後の歌謡界そのものを始めちゃった人」と云っていいですね。「東京キッド」が13歳で、「港町十三番地」が
20歳。ヒット曲が途切れぬまま子役から大人の歌手に成長して。しかも「ひばりの〇〇さん」なんて企画モノがヒットしてるのだから、アイドル性もあったということです。
なお「君の名は」は映画の主題歌で、主題歌ヒットの先駆ですね。
1960年~1967年(参考記録)
1960年 美空ひばり「哀愁波止場」
1961年 島倉千代子「恋しているんだもん」
1962年 中尾ミエ「可愛いベイビー」
1963年 梓みちよ「こんにちわ赤ちゃん」
1964年 青山和子「愛と死を見つめて」
1965年 美空ひばり「柔」
1966年 美空ひばり「悲しい酒」
1967年 黛ジュン「恋のハレルヤ」
この時代、高度成長と共に、レコード盤の売り上げが急激に伸びて、日本人が作曲したポップスもどんどん増えていって、新時代という感じだったと思うのですね。それでもここで、美空ひばりが代表曲を2連発で持ってくるという凄さ。1967年も「真っ赤な太陽」が女性ボーカル曲としては1位の売上なんですが、ブルーコメッツとの共演ということで外すと、ようやく黛ジュンという、新時代の歌姫が現れました。
1968年~1970年
1968年 伊東ゆかり「恋のしずく」
1969年 由紀さおり「夜明けのスキャット」
1970年 藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」
1968年にオリコンチャートがスタートしたので、ここからは正式な記録です。68年暮れ発売のいしだあゆみ「ブルーライト・ヨコハマ」は、売上では「恋のしずく」を越えるミリオンヒットでしたが、年度区切りの集計ではこうなります。
オリコンチャート史だけ見ていた時は、この時代の歌手は「古き歌謡時代の歌姫」に見えたんですよ。でもそれ以前の流れを受けて見ると、十分に新時代の歌姫ぽく見えますね。
ただすぐに、時代は変わっていくのです。
1970年~1979年
1971年 小柳ルミ子「わたしの城下町」
1972年 小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」
1973年 ちあきなおみ「喝采」
1974年 小坂明子「あなた」
1975年 小坂恭子「想い出まくら」
1976年 都はるみ「北の宿から」
1977年 ピンク・レディー「渚のシンドバッド」
1978年 ピンク・レディー「UFO]
1979年 ジュディ・オング「魅せられて」
小柳ルミ子は現在の観点からはアイドル扱いはされませんが、南沙織、天地真理と三人娘と呼ばれていたし、新世代の歌姫であったことは間違いありません。そして72年も73年も、歌手ごとの売上集計では天地真理がトップでしたから、ここで「女性アイドルの時代」が始まったのも間違いありません。
と同時に、アーティストが自作する時代も始まって、74年には早くも小坂明子作詞作曲の「あなた」が首位となります。ユーミンも中島みゆきもこの時代のデビューですね。アイドルとシンガーソングライターの台頭によって、ヒットチャートの様相は一変しましたね。
70年代後半には、テレビ歌番組全盛の象徴としてピンク・レディーが爆発的なブームを起こし、山口百恵は売上では譲りました。
筒美京平は「ブルーライト・ヨコハマ」「ロマンス」「木綿のハンカチーフ」と、それぞれ年度の女性ヒット2位となる曲を提供していましたが、
79年に「魅せられて」で、70年代の集大成といえる大ヒット曲をジュディ・オングに与え、歌姫に輝かせました。
1980年代~1989年
1980年 久保田早紀「異邦人」
1981年 都はるみ「大阪しぐれ」
1982年 あみん「待つわ」
1983年 わらべ「めだかの兄妹」
1984年 松田聖子「Rock'n Rouge」
1985年 中森明菜「ミ・アモーレ」
1986年 石井明美「CHA-CHA-CHA」
1987年 瀬川瑛子「命くれない」
1988年 工藤静香「MUGO・ん・・・色っぽい」
1989年 プリンセス・プリンセス「Diamonds」
80年代は聖子、明菜の歌姫2強時代だったことは言うまでもないのですが、曲別の売上となると他に強力な作品もあって、1位の獲得はそれぞれ1回となりました。
80年代の後半はレコードとCDの入れ変わりの時期で、シングル盤の売上は一時落ちましたね。89年に平成に入ると売り上げは回復し、90年代に入ると逆に爆発的に伸びていくのですが、その時代の先駆となったのがプリンセス・プリンセスでしょう。
1990年~1999年
1990年 プリンセス・プリンセス「OH YEAH!」
1991年 小泉今日子「あなたに会えてよかった」
1992年 今井美樹 「PIECE OF MY WISH」
1993年 ZARD 「負けないで」
1994年 広瀬香美 「ロマンスの神様」
1995年 岡本真夜 「TOMORROW」
1996年 華原朋美 「I'm proud」
1997年 安室奈美恵「Can you celebrate?」
1998年 SPEED「my graduation」
1999年 宇多田ヒカル「Automatic」
今思えばミリオンヒット量産のJ-POP黄金時代ですけど、同時にタイアップソングの全盛時代でもあり、テレビの歌番組もなかったことから「誰も知らないミリオンヒット」などと揶揄もされましたね。
しかし後半は小室サウンドのブームによって、安室奈美恵など新しい時代のビジュアルアーティストが生まれ、華やかになりました。
しかしそんな時代も、1人の天才歌姫の出現によって、また一変していくのです・・・
2000年~2010年
2000年 宇多田ヒカル「Wait&See~リスク」
2001年 宇多田ヒカル「Can You Keep A Secret?」
2002年 浜崎あゆみ「H」
2003年 宇多田ヒカル「COLORS」
2004年 平原綾香「Jupiter」
2005年 中島美嘉「GLAMOROUS SKY」
2006年 雨音薫「タイヨウのうた」
2007年 宇多田ヒカル「Flavor Of LiFe」
2008年 青山テルマ「そばにいるね」
2009年 秋元順子「愛のままで・・・」
2010年 AKB48「Beginner」
宇多田ヒカルは自作曲のアーティストですが、10代の若さで、母親はかつての歌姫の藤圭子という血筋もあるので、アイドルではないにせよ、時代のアイコン的な存在となりました。こうしてみると、往年の美空ひばりと並ぶ、圧倒的な存在感を示していますね。
しかしその際立った音楽性の高さは、もしかしたら諸刃の刃だったかもしれません。J-POPの進化が一気に頂点に達して、手詰まりになってしまった感もあるのです。
2010年にAKB48が首位となり、これ以降2020年まで、歌姫1位の座を独占します。そして2021年からはその座が乃木坂46へと変わります。しかしその1位の意味するところは、もうそれ以前と同じではありません。売上枚数は多くても、固定されたユーザーに向けた、自己完結サークル型の売上だからです。
「歌っている曲のヒットにより歌姫を選ぶ」という趣向自体がもう成り立たない。曲と無関係に推しの数で決まる時代を迎えた、といえるでしょう。
配信の時代を迎え、CDの売上自体ももはやその意義が薄れてきました。
戦後の歌姫の歴史を総括すれば、「美空ひばりに始まって、宇多田ヒカルで区切りを迎えた」と、総括することができそうです。