プロレス各団体のメインエベンターの変遷史(1954~2024)
先日、今年の各団体のメインエベント出場ランキングをあげましたが、今日はそれを、歴史の俯瞰の視点で再考してみたいと思います。
今から丁度70年前の1954年(日本に初めてプロレスが定着した年です)から10年ごとに、それぞれの年のメジャー各団体レスラーの、メインエベント出場回数をあげていき、その変遷を2024年まで追っていきたいと思います。
とはいえ、さすがに各年の全興行のメインエベントを調べるのは大変なので、手元に資料のある東京地区の興行(後楽園ホールなど、収容1000人以上の会場の興行記録は、所有しております)に限定し、メインエベント出場回数をまとめたいと思います。
それでは。
○1954年~力道山によるプロレスの誕生
<日本プロレス>
力道山12回/遠藤幸吉4回/※木村政彦4回/駿河海2回
まさしく日本のプロレスが誕生した年。当然ながら全ての大会で、スーパースターの力道山がメインを務めています。
木村政彦は国際プロレスの所属で、シャープ兄弟との初興行で力道山のパートナーを務めましたが、紛糾し、暮れには「巌流島の対決」を繰り広げたのはご存知の通り。この対決を制したことで、力道山の日本プロレス界の支配は、盤石のものになりました。
○1964年~力道山死後の新体制
<日本プロレス>
豊登22回/ジャイアント馬場14回/吉村道明14回
芳の里8回/遠藤幸吉5回
その力道山が前年暮れに刺殺され、日本プロレスが激動となった年。
豊登、吉村、芳の里、遠藤らが支える体制になったものの、それだけでは
不足で、アメリカでスーパースターになっていたジャイアント馬場を呼び戻すことに。豊登がエース格を務めながらも、人気は馬場が支えるという、二枚看板で、難局を乗り切りました。
○1974年~馬場の全日本、猪木の新日本の対立時代へ
<新日本プロレス>
アントニオ猪木12回/坂口征二4回/星野勘太郎2回
※ストロング小林2回
<全日本プロレス>
ジャイアント馬場15回/ジャンボ鶴田5回
その日本プロレスが前年に崩壊し、プロレス界は「馬場の全日本プロレス」と「猪木の新日本プロレス」が相争う時代に突入します。
新日本では猪木が小林、大木と、力道山木村戦以来タブーとなっていた「大物日本人対決」を実現させ、大きな話題を作ります。
これに対して馬場は「日本人対決を避けた」との風評を浴びるも、NWA世界王座を獲得して応戦。前年デビューした鶴田もメインに定着します。
○1984年~新日本に激震続く
<新日本プロレス>
アントニオ猪木10回/長州力4回/藤波辰爾3回
坂口征二2回/木村健吾2回/※アニマル浜口2回
<全日本プロレス>
ジャンボ鶴田12回/ジャイアント馬場9回/天龍源一郎6回
80年代前半、絶頂を迎えた新日本でしたが、前年にクーデター事件が起こり、UWFの旗揚げなど、体制が大きく揺らぎます。
猪木も体調不良が目立ちつつメインを務めますが、興行の核となっていた長州ら維新軍がジャパンプロを旗揚げして離脱し、さらに苦境に追い込まれます。
全日本ではジャンボ鶴田がAWA世界王者となり、日テレの意向もあって馬場時代からの移行が打ち出されましたが、馬場もハンセンからPWF王座を奪回して、意地を見せる状況。そこにジャパンプロ勢を招き入れ、一気に新日本を追い詰める構えを見せます。
○1994年~三銃士と四天王
<新日本プロレス>
橋本真也7回/長州力5回/蝶野正洋4回
馳浩4回/パワー・ウォリアー4回
<全日本プロレス>
三沢光晴17回/小橋健太14回/川田利明13回
田上明8回/秋山準7回
80年代の激動を経て、90年代は新日、全日にとっては、それぞれ三銃士と四天王を軸に据えた、安定の時代に。テレビ放送は深夜にまわされたとはいえ、興行人気的にはピークを迎えます。
長州はマッチメイクにまわり、橋本真也をIWGP王者に据え、蝶野が黒いカリスマとなってブレイク。全日本では鶴田が病気で第一線を退き、三沢が三冠ヘビー級王者として君臨しつつ、この年は川田も三冠を初戴冠しました。
両団体とも、馬場・猪木が第一線を退き、複数エース路線に切り替え、
それが成功したと言えるのではないでしょうか。
○2004年~新日暗黒時代とノアの躍進
<新日本プロレス>
天山広吉10回/棚橋弘至9回/永田裕志7回
中邑真輔6回/中西学5回/※佐々木健介5回
<全日本プロレス>
川田利明8回/武藤敬司7回/小島聡4回
太陽ケア4回/※佐々木健介4回
<NOAH>
小橋建太9回/田上明6回/三沢光晴5回
秋山準5回/小川良成5回 他
90年代は順風だったプロレス界は、00年代に入ると、総合格闘技のブームや、各団体の離脱、分裂騒動で、逆風が目立ち始めます。
武藤、橋本が去った新日本は、エースに置きたい永田が、猪木の格闘技ハラスメント?で商品価値を失墜させられ、中邑、棚橋もまだ成長過程ということで、いわゆる「暗黒時代」に突入します。
全日本はノア勢の大量離脱の後、武藤が新日から移籍してエースになりました。この年は欠場していた川田も復帰して、佐々木健介もうまく使い、武道館撤退など興行縮小路線の中でも、団体としてのまとまりは見えてきた年でした。
ノアは、小橋建太が「絶対王者」として君臨し、初の東京ドーム進出も成功させて、「新日本に代わる新たな業界の盟主」と言われるようになりました。四天王の中でも年齢が若かった小橋は、この頃が全盛とも言えました。
○2014年~新日本1強体制に
<新日本>
棚橋弘至12回/中邑真輔10回/オカダ・カズチカ8回
石井智弘7回/後藤洋央紀5回/飯伏幸太5回
<全日本>
諏訪魔6回/大森隆男5回/潮崎豪4回
※曙4回/秋山準3回
<NOAH>
丸藤正道11回/※永田裕志7回/杉浦貴6回
森嶋猛6回/中嶋勝彦5回
新日本の暗黒時代は、棚橋と中邑の成長、そしてレインメーカーのオカダ・カズチカの登場に、ブシロード新体制が加わり、一気に「一人勝ちの独走状態」へと転換していきます。猪木時代の残影を引きずらない、新しい時代のキャラクター・プロレスは、若い女性たちの間でもブームとなります。
これに対して全日本は大苦戦。ノアから秋山、潮崎らが全日本に移籍して、厚みを増すかと思いきや、オーナーの迷走により、武藤らが離脱して、逆に苦境に陥ってしまいます。
三沢が亡くなり、小橋が引退、秋山も去ったノアも苦境で、その上さらに、
KENTAがWWE行きのため離脱し、丸藤が孤軍奮闘する状況に。
新日本の絶好調に、全日本とノアの絶不調が重なり、ここにきて日本プロレス界は「新日本の1強体制」に突入していきます。
○2024年~オカダ離脱の新日本
<新日本>
辻陽太7回/高橋ヒロム6回/エル・デスペラード6回
内藤哲也5回/SANADA4回/DOUKI4回
<全日本>
安斎勇馬6回/宮原健斗4回/斉藤ジュン4回
※中嶋勝彦3回/青柳優馬2回/諏訪魔2回 他
<NOAH>
清宮海斗10回/拳王5回/潮崎豪4回
※大岩陵平4回/丸藤正道3回/稲村愛輝3回
さてこのような流れから、今年のメインエベンター陣を眺めてみると、また違った観点が、見えてきますでしょうかね。
新日本では、10年前の黄金時代を支えた棚橋、中邑、オカダの存在がありません。特に今年オカダが新日を去ったことは、重大な転換点と言えるでしょう。内藤哲也がロス・インゴ勢を率いて、興行を支え、10年以上続いた1強状態は揺るぎませんでしたが、ポスト・オカダという課題は重くのしかかる2024年でした。
全日本は、この10年間で育った宮原、青柳、そして安齋や斎藤ブラザーズがトップに来て、フレッシュ感が高い団体となりました。業界を引っ張るようなスケール感はなくなりましたが、固定ファンを確実に満足させる陣容ではありました。
ノアはサイバー・エージェントの傘下に入って、安定した経営ができるようになりました。清宮を主軸に、業界のトップを狙うような意欲を見せつつも、まだまだ新日本との距離は大きく、試行錯誤中・・・といった感じでしょうか。
・・・といったところが、プロレス・メインエベンター史を俯瞰で見た記録であります。
メインエベンターの世代交代論で言えば、力道山の急逝もあり、馬場・猪木への交代はスムーズに行き。
しかしその馬場・猪木の時代が長かったがゆえに、鶴田・藤波・長州・天龍らの時代への移行は難儀し。
その次の三銃士、四天王の時代への移行はうまく行きつつ、その次世代(永田・秋山ら)はまた苦戦。
ただ新日本はその次の世代(棚橋・オカダ)への移行は大成功させ、手こずった全日本、ノアに差をつける。
だがさらにその次の世代へとなると、まだ新日本にも決定的な人材は出ていない・・・
といった総括が、できるのではないでしょうかね。