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映画 「ギヴン 海へ」感想


感情の読み解きの匠‥奥深いギヴンの感性

こんなに何度も見るとは思いもしなかった。アニメシリーズから見ていた作品。
原作では追っておらず、前々回の映画版(柊mixの前の映画)は映画館に見に行っていた。その程度でしか触れていたなかったここ数年間を猛反省するほどいい作品だった。週末のたびに劇場に通い、横浜開催のギヴン展にも無事行けたこの機会に大感謝。まだまだ続いてることがこの上ない救い。ギヴンファンの皆様、新参者ですがどうぞよろしくお願いします・・・(口上)

そして感想の前に一言だけ。
ギヴンって、こんなにも複雑な感情を、細やかな描写で読み解いていくことが必要な高度でとても繊細な作品だったとは。
筆者はアニメシリーズを存分に楽しんだ上で、2年前に一度、年上組メインのお話にあたる映画は見ている。音楽に触れた真冬くんが、その深みを増していくことで大きくバンドとしてのギヴンも動き出していく。その中で描かれる、メンバーとしての秋彦と春樹の関係。当時の私は「よかった〜!!!2人ヨカッタネ!!」の印象に止まっていた。それから2年。ギヴンってこんなにも奥深くて、語られきれない感情のゆらめきが描かれていたことに今更気づく。すごい作品だと思い知るのであった・・・。
映画、初回にみた時の書き殴り感想メモをもとに転記。乱文です。

上ノ山、曲のタイトル「海へ」ってつけよったぁぁ・・・!

冒頭、由紀との海のシーンから始まる映画。「真冬と最初に海に来たのが自分だ」ということを覚えてもらっておこうとする由紀。こんな始まりかたされたら引き込まれない訳ないよね。海でのやりとりを、何度も繰り返し思い出す真冬を、追体験させてもらっているような感覚だった。そういう意味では、由紀の思惑通りになってしまっているのが悲しい。人はいつか忘れる、そして自分も忘れられる、幸せなはずなのにその終わりを見てしまう由紀ってすごく生きずらいんだろうな・・・それが一つの優しさでもあって。

そんな海のシーンから、由紀が死んだ後、由紀のギターを受け取るシーン。そして「いつから歌っていないっけ」の真冬の思考へ。全部転換が同じ動き方だったのは、真冬自身の体験した時系列で追うようになっていたのかな。

熱を持って曲を作り上げた上ノ山。「例の曲」なんて柊やシズちゃんと呼び合う中で、自らタイトルをつけたいと申し出る上ノ山。
上ノ山がつけたタイトルは「海へ」。
劇場にいた私は“上ノ山、曲のタイトル「海へ」ってつけよったあああ、、”と頭を抱えながら始まった。

上ノ山のポケットにてくしゃくしゃにされたチケット

なぜ上ノ山のチケットはくしゃくしゃで、
柊から渡されたチケットは特別なインビテーションなのか。
上ノ山には迷いがあって、柊には自信があったのかなと。
由紀が作りかけていた曲を、由紀のことはよく知らない上ノ山が補った曲。聞いてほしいのに、不安があった。自分だけがほかのバンドでステージに上がる後ろめたさ、そしてサポートという立場。上ノ山の求められる「役」に、全てがそうするしかなかったものの、上ノ山のいろんな不本意が重なっている時期でもあって。それに、曲を聞かせて、由紀への感情、自分に向けられる感情も変わっていくことになる。そんないろんな感情のしがらみが、きっと「どうやってチケットを渡すか」それに、本当に来てくれるのか?いろんな悩みの結果、しわくちゃのチケットになったんだろう。

やりたいこと「ありません」

プロのサッカーチームに入る友人、メジャーデビューするバンドに籍を置く好きな人。「みんなのスピードについていけない」。刻々と変わる周りに、自分だけ置いていかれているように感じる真冬。
そんな人は一握りで、“みんなまだ決めてない”。この気付きがまた真冬の背中を押す。
どんどん前に進んでいくような人ばかりに錯覚してしまうほど、周りを意識する時期。でも、みんながみんなそうじゃなくて、「決めていない」「やりたいことはない」。それでいいって、気づけるところも高校生らしくて好き。
真冬の目に映る世界は、音楽と、上ノ山に出会ったことで、確実にその幅が広がっていて、その人たちとのやりとりで、自身の気付きに繋がっていく。

村田雨月という存在

雨月がライブに引っ張り出すところがもうめっちゃ好き。めっちゃ好き(何回でも言う)
立ち止まってしまって、踏み出すこともできない真冬には、いつも何かのきっかけがある。
映画で号泣したシーンの一つが、村田雨月が真冬をライブに連れ出すシーン。
上ノ山と幼馴染たちが立つステージを観ることで、自分の中に大きな渦が起きることがわかっていて。それが、「音楽がしたい」という衝動で。
一方で、上ノ山の存在も、関係もこれから変わってしまうんじゃないかという渦巻く不安。どちらも両立することができないのではないか。
その止まることのない戸惑いを理解した雨月が放つ言葉が、刺さりまくった。
“今この時も変わっていってる”
いっぱい考えたんだね、でも相手がどう思ってるのかが抜けてない?
どっちかしか選べない。
それなら前に進んでいくのをオススメする!、、みたいなセリフめっちゃよかった。
真冬が雨月に押されて、前に進んで、ライブに至るまでの一連で感涙シーンが続く。

“それ、もう戻れないよ”

あーーんなに、いつもふわふわしながら優しげに話す雨月なのに、やりとりの中で、雨月の目元に影が入る。
“それ、もう戻れないよ”。放つ言葉がとても冷たくて、核心を突いた。
好きな人といることと、音楽を続けること。その二つがあることで、相手の音楽
苦しめることに気づいた上で、関係が終わった結末を辿った雨月。
自分のあゆみを重ねてしまい、いつものふわふわオブラートが、ついぞ剥がしてしまったんだろうな、辛い。
全てがそうなるわけではない。だからこそ、「うたの子」の背中を押す。
きっかけがあれば化ける、と思っているからこそ。
その嗅覚があって、自分がプレイヤーにも、そして誰かの変化のきっかけにもなることができる雨月。あーーーーーーまじで幸せになってくれ。村田雨月という存在を愛してやまない・・・。

とにかく、“行っておいで、”スタンスのバイオリニストに心奪われた。
半ば強引に真冬をライブに連れ出しておいて、そして、自分はライブの途中で帰っちゃうんだよ、あいつは。もう真冬は1人で立ってられる。その先に、きっと上ノ山だって、ギヴンのメンバーだっているはずだと確信できたんだろうな。その感性がすごい。
帰りのタクシーで雨月がちらりと見せる、ちょっと満足げな顔。
しんどい。幸せになって。。
雨月でもう一言・・・最後のフランスからの電話。あんなクラシカルな受話器扱いこなす男いるか・??もうすべて好き。笑

あと、もう一言・・・雨月のピアス!!!きらっと光った後に、その直後に梶秋彦のピアスカットインサート!!
ピアスをつける雨月のその決意、、好きなんだよね、好きでい続けることなんも悪くない。そんな自身を受け入れた海への雨月が好き。。
真冬が前に進む上で、雨月という役回りが秀ですぎててずるい。最高でした。


syh「海へ」

歌詞😭😭😭
由紀じゃん、、由紀から真冬への曲じゃん、、、
それを、上ノ山が昇華させてるの。上ノ山まじで何者!?仏!?
ぜーーーんぶひっくるめて、受け止めて、なんなんだあのパス・・
感情の読み解きよ、、、(混乱)
由紀という人間と、真冬との間に何があったのかは全て知らない上ノ山が
未完成だった由紀自身の(おそらく告白の)曲を、その後に出会った上ノ山が補って、また真冬に返していく、、美しすぎた。

こんんっっな複雑な感情を全部結果から読み解く作品だったとは。
難易度高っ。。上ノ山が由紀と真冬を繋いで、全部受け止めて一緒にいる
あーーーーなんて尊い。
そこからの、「一生、音楽がしたい」「後悔させない」のプロポーズでノックアウト。
感情を細やかに明確には示さない余白の多さが、本当に何年経っても、味わい深い作品なんだと感じた。やっとその土俵に立てたということか。

2人で海へ

ゴミ捨てにどこまで行ったんだろうと思っていたら、上ノ山がやっと戻ってくる。手には2つのカップ。しかもカフェラテとコーヒー。
それでもぼーっとしてる真冬。
雨月とのやりとりで、自分が伝えた雨月への救いの言葉が、自分にも重なって聞こえた余韻が広がっていたんだろうな。
雨月さんにも、自分にも、「音楽(として)は残っていると思います」
人も、人との関係性も、いまはないけれど、音楽として残り続ける。
由紀の「いいや、お前は忘れる」って言葉は、音楽として残るという、対極にあるセリフだったんだろうな。

最後・・・・完全に油断してた、、、漫画では分からなかったけど、真冬からキスしてるんだ・・・。上ノ山はあくまで、しゃがんだだけ・・・だった!?
構えの上ノ山、いいぞ。。最高だった。
電車の中の真冬くんよしよししたすぎる。。
この作品はすごい、、もうなんだこりゃ!?!?ほんと、見てよかったよ!!!!(荒ぶり失礼しました)

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