私にとっての「コロナ時代」と「大学生時代」

 私が大学に入学した当初は、全ての授業がオンラインで実施されていた。ZoomやWebexと言われる、Web会議サービスを使用して、また、時には動画配信サービスのYoutubeで、限定公開された動画を視聴する形で行われていた。画面上で真っ黒なアイコンの中心に白い文字でクラスメイトの名前が並んでおり、実際に存在しているはずなのだが、とても無機的なものにしか感じられなかった。こんな大学一年生の春学期を過ごしていたが、秋学期になると学部別に隔週での対面授業が実施され、2年生に上がる頃には、ほとんどの授業で、対面形式がとられるようになった。
 
 このように、オンライン授業、対面授業の2つの形式を経験したことにより、学びや、気づきを得ることが出来た。まず、授業は、オンラインでも十分に実施可能であるということが、大きな学びであった。これは、私個人の意見ではなく、一般的にも実証されていることである。この社会的学びは、今後の授業形式に大きな影響を与えることになるだろう。こういった学びを踏まえた上で、尚、対面授業が主流であり続ける学校制度に、私は気づきを得た。それは、単純に教科を教え、知識を与える以外での、学校という場所の役割である。学校とは、ひとつのコミュニティなのだ。卒業に伴い中学、または高校というコミュニティから脱退したはいいものの、オンライン授業により次のコミュニティに属することが出来ていない、と仮説をたてると、コロナ禍において、人々の孤独感が強まっているという統計結果に納得がいく。また、コミュニティから脱退はしていないものの、交流が減ったことにより、コミュニティが希薄化してしまった場合も同様に考えられる。その上、今日は地域のコミュニティが薄れている傾向にあり、人々の社会的孤立問題に拍車をかけているといえる。

 これらの学び、気づきを通して、私は将来、学校というコミュニティで子供たちを支えていきたいと考えるようになった。元々教育に興味があり、このコロナ時代を学生という立場で経験したことで、学校という場所にとても魅力を感じたからだ。明治時代から続くこの学校という制度が、これほどまでに存在を危ぶまれたことはあっただろうか。不謹慎ではあるが、このコロナ時代は、私にとって、当たり前に存在していた学校という場所について深く考えることが出来たという意味で、とても貴重な機会であったといえる。

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この文章は、「#いまコロナ禍の大学生は語る」企画に参加しています。
この企画は、2020年4月から2023年3月の間に大学生生活を経験した人びとが、「私にとっての『コロナ時代』と『大学生時代』」というテーマで自由に文章を書くものです。
企画詳細はこちら:https://note.com/gate_blue/n/n5133f739e708
あるいは、https://docs.google.com/document/d/1KVj7pA6xdy3dbi0XrLqfuxvezWXPg72DGNrzBqwZmWI/edit
ぜひ、皆さまもnoteをお寄せください。
また、これらの文章をもとにしたオンラインイベントも5月21日(日)に開催予定です。
イベント詳細はtwitterアカウント( @st_of_covid をご確認ください )
ご都合のつく方は、ぜひご参加ください。
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