(染色2)蒸したくない、彫りたくない
染色の技法について
タイトルの語呂の都合で、【彫りたくない】と書きましたが、【型紙を使いたくない】が正確です
蒸したくない
染料の多くは、温度を上げることで布に定着するので、浸染といって染液を作ってドボンと布を入れる染め方で温度を上げて定着させる場合と浸染出来ない場合は蒸すことで温度を上げます。
使いたかった化学染料のナフトール染料は、下漬け材と顕色材の2液を掛け合わせる方法で、温度を上げる必要がないのも利点だったのですが、もう忘れようナフトール。
※ナフトール染料は、前に書いていますが発がん性の問題で流通していないようです
なぜ蒸したくないのかって、蒸し器の問題があるから。手拭い一本蒸すのは茶碗蒸し作るぐらいの蒸し器でできるけれど、一反分蒸すとなると専用の蒸し器が必要になる。
そして何よりもインドから離れる気がする。
蒸せれば型と糊を使えるので、表現の幅は広がるけれど、私の中の行ったこともないインドの世界観に型紙で糊置きした布を蒸すという光景が浮かばない。
蒸し器の問題をクリアすれば、表現の自由度はほぼ無限に広がるけれど、私に限っては自分の首を絞めると漠然とではあるけれど感じている。
彫りたくない
型紙って紙ではあるものの、切るではなく彫るといいます。実際にやってみると厚みがあるからなのか確かに彫っているって感じるものです。
タイトルは【彫りたくない】にしましたが、彫るのは抵抗ないのです。彫った型紙で糊置きする、あの正確に大量に再現できる感じに違和感を感じています。
それとシルクスクリーンという技法があり、紫外線の力を借りて型抜きができるので下絵を描いたら掘る必要がありません。彫りたくないならシルクスクリーンで良いじゃないかという屁理屈が成立します。
大学の卒業制作でイイ気になって掘らなくても型ができるってシルクスクリーンを使ったら、自由過ぎて扱いきれなかったという苦い思い出もあります。
そんなこんなで、今回は型紙使わず、蒸さないで染めると決めてみました。
染めるという行為は、染液にドボンと漬けるのが一番馴染むというか基本だと思うし、久しぶりに染めるにあたり、鍋で布を煮込んで、いかにも染めてるって気分を味わいたいなって。
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