洛北・修学院をめでたお方は? そのⅡ・完
そのお方は後水尾天皇です。1596年~1680年
見出し画像 大覚寺・安井堂 等身大の僧形
離宮造営
上皇から法皇(56歳)になられる頃には
修学院への御幸(お出まし)が
かなり自由になりました。
ひな形を土や石でつくり
造庭たくみな者と工夫をかさね
現地へ出かけられた等と
伝聞されています。
造営のあらゆる指揮をとられ
65歳ごろには
ほぼ完成なさいました。
浴龍池と舟遊び
うえの写真、ここ浴龍池《よくりゅうち》で
平安時代の絵巻物のように
舟遊びをなさっております。
山からの小川をせきとめたダム湖です。
せきとめた石堤をかくしている
大刈込がみごとです。
舟遊びはたいそうお好きで
おすまいの仙道御所でも
なさっています。
ゆかいな記事がありました。
西野さま、引用させてただきありがとうございます。
大覚寺、桂離宮と修学院離宮
大覚寺と桂離宮のお庭について
大覚寺
平安時代はじめ嵯峨天皇の離宮でした。
中国の洞庭湖に魅せられ造営された
皇室ゆかりの寺院です。
ここの庭と大沢の池(時代劇の撮影場所として有名)は
日本最古の庭と人口の池です。
舟遊びや観月の夕べがよくおこなわれました。
桂離宮
江戸時代、
八条宮《はちじょうのみや》の初代と二代目が造営した
宮廷文化がよく表れている別荘です。
庭園や建物群は
世界的にもゆうめいです。
八条宮もよく観月や舟遊びをなさいました。
池は桂川の水を引いています。
後水尾院はここへは
三度も御幸されています。
結び
先人の庭にまつわる
かずかずの歴史に
あこがれ,心ひかれ,
修学院の地に
離宮をつくらせたのではないでしょうか、、、
この地の後水尾院のうしろには
必ずと言ってよいほど
東福門院・(和子《まさこ》)の姿が
あったそうです。
東福門院の没(72歳)後2年、
院は85歳で崩御されました。
都会の喧騒からはなれ
比叡山の麓に広がる離宮を
訪れてみませんか?
景色のなかに
後水尾院と東福門院の
波乱万丈な一生が
絵巻物のように
づづいていくでしょう、、、
夏は日陰がないのでごちゅういください。
足元もヒールはこまりますよ、、、
完