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日本への回帰
日本のアイデンティティが経済しか無くなってしまった。[明治]時代に欧米を真似た発展を続け、そして昭和になれば日本のルーツを完全に忘れてしまい、日本は経済大国であること以上のアイデンティティを持たない悲しい国になってしまった。日本は経済的資源は豊かになったが文化的資源は失われてしまった。
しかし、90年に日本はさらなる経済的アイデンティティを[新自由主義]に求めたが、結局は他国の猿真似だ。経済を失った日本には虚無感しか残らなかった。
これを憂いたのは三島由紀夫だった。三島は[天皇]が国のトップに返り咲くことを望み、日本の空虚ではないアイデンティティを取り戻そうとした。日本の空虚さ、それは天皇によって刷新される。
GHQによって人間味を奪われた天皇はもはや影であり本体のない偶像だ。昔の天皇は人間の美しいところだけではなく醜いところをも抱擁する存在だった。
「日本への回帰」萩原朔太郎
三島が共鳴した一人が萩原朔太郎だった。
朔太郎は日本への回帰にて日本のアイデンティティが失われてしまったことを憂いている。日本へ明治以来ずっと外国に追い付こうとひた走った。鹿鳴館はその象徴ともいえるだろう。西洋風の建物や着物、考え方まですべてを刷新して、富国強兵推し進め、列強に肩を並べ、ついには日露戦争で大国ロシアを破った。
だがしかし、僕等はあまりに長い間外遊して居た。そして今家郷に帰つた時、既に昔の面影はなく、軒は朽ち、庭は荒れ、日本的なる何物の形見さへもなく、すべてが失はれてゐるのを見て驚くのである。僕等は昔の記憶をたどりながら、かかる荒廃した土地の隅々から、かつて有つた、「日本的なるもの」の実体を探さうとして、当もなく侘しげに徘徊してゐるところの、世にも悲しい漂泊者の群なのである。
かつて「西洋の図」を心に画き、海の向うに蜃気楼のユートピアを夢みて居た時、僕等の胸は希望に充ち、青春の熱意に充ち溢れて居た。だがその蜃気楼が幻滅した今、僕等の住むべき処の家郷は、世界の隅々を探し廻つて、結局やはり祖国の日本より外にはない。
[日本的なるもの]に帰らなければいけない。[西洋]という夢は蜃気楼だったのだ。この構図は昭和にも引き継がれることとなった。朔太郎は先見の明をもっていたのだ。西洋は空虚だった。日本人は何かを失い、淋しさにくれた。しかし、何を失ってしまったのだろう?
我れは何物をも喪失せず
また一切を失ひ尽せり
文化は崩壊し、そのかけらの中からまた日本の文化の断片を探し出し、再構築しなければいけない。しかし出来上がったのは[戦争]のプロパガンダだけであった。天皇は軍部に利用され、その日本らしきものに国民は酔狂した。
現実は虚無である。今の日本には何物もない。一切の文化は喪失されてる。だが僕等の知性人は、かかる虚妄の中に抗争しながら、未来の建設に向つて這ひあがつてくる。僕等は絶対者の意志である。悩みつつ、嘆きつつ、悲しみつつ、そして尚、最も絶望的に失望しながら、しかも尚前進への意志を捨てないのだ。過去に僕等は、知性人である故に孤独であり、西洋的である故にエトランゼだつた。そして今日、祖国への批判と関心とを持つことから、一層また切実なヂレンマに逢着して、二重に救ひがたく悩んでゐるのだ。孤独と寂蓼とは、この国に生れた知性人の、永遠に避けがたい運命なのだ。
日本的なものへの回帰! それは僕等の詩人にとつて、よるべなき魂の悲しい漂泊者の歌を意味するのだ。誰れか軍隊の凱歌と共に、勇ましい進軍喇叭で歌はれようか。かの声を大きくして、僕等に国粋主義の号令をかけるものよ。暫らく我が静かなる周囲を去れ。
孤独に失ったものを荒廃してしまった島で探し求めなければいけない。令和の人間よ、日本的なものへの回帰を求めて歩き続けよ。
日本人の政治的態度
日本人の政治への態度は根本的に西洋のそれとは異なる。西洋の政治意識はキリスト教からの系譜を経てたどり着いた一つの答えである。しかし日本はどうだろうか。徳川幕府の封建的なものから外的な要因により一夜で西洋的なものに転換した。日本人はその転換について行けたとは思えない。明治維新から100年以上経った今でも日本人が権利を主張することなどあろうか?自由への意志はあろうか?私は今でもないと思う。もともと日本に個人主義というものはなかったし、人文主義的なものもなかった。時間は円環し、忠孝や義理を命より重んじ、生と死は同じ世界に存在し、神とは対等な関係にあった。推測だがそんな世界に住んでいた人たちにとって明治維新は天地が逆さになったといっても過言でないだろう。明治維新に日本人が経験したものは生易しいものではなかったであろう。その尾をずっと引き今に至るのだ。
終わり