さね。

noteを何となく始めてしまった思考初心者。こよなく暇を愛している。そろそろ家に帰るか。

さね。

noteを何となく始めてしまった思考初心者。こよなく暇を愛している。そろそろ家に帰るか。

最近の記事

La Question

Francoise Hardy の La Question を紹介したいと思います。 このアルバムは数日前に大学の友だちに教えてもらったものです。 フランソワーズ・アルディの音楽も初めて聴きました。フランスの音楽自体が自分にとって新鮮です。(ダフトパンクぐらいしかなじみがないです笑) このアルバムは12曲、30分少しと比較的短いアルバムになっています。 フランソワーズ・アルディは三か月前に亡くなってしまったフランスを代表する歌手で、80年の生涯で28枚のアルバムを発表

    • 部分と全体

      小林秀雄の人間の建設(だったっけな)に科学と認知の違いについて記された一節の後味がいいので書いていこうと思う。 対象を知ることと対象の法則や構成を知ることは根本的に異なっていると小林秀雄は云う。 早速だが本題に入っていこう。社会とは一体何か。 社会に貢献する・奉仕するなどの言葉を昨今よく聞くのだが、そもそも社会とは何だろう、そして社会に働きかけることは何を意味するのか。 辞書で引くと 人々の集まり。人々がより集まって共同生活をする形態。また、近代の社会学では、自然的

      • 哲学って何

        独断と偏見に基づいて哲学の定義を展開しようと思う。 哲学とは個人が真理に向かって辿ってゆく道である。 真理とは何か。それは知らない。現在模索中である。真理はとてもデリケートだ。そのデリケートさゆえ早急に結論づけてはいけないと思う。しかし真理が我と世界のあるべき姿そのものであることは間違いないであろう。 そして真理を理解するのは己自身だ。どの本も、グルも、宗教も教えてくれない。到達する道のりに供がいてもよいが、歩みを進めることができるのは己のみだ。 真理には解釈は存在し

        • 「良心」小林秀雄を読んで

          巷で人気のピーター・シンガーの Famine, morality and affluence というエッセイがある。 このエッセイは1972年にベンガル飢饉の際にシンガーが綴ったものであり、超簡単に要約すると「もっと寄付しろ」というものである。 これを6月くらいかな、に読んだのだがなんとも言えない味の薄いエッセイであったのを覚えている。メッセージは素晴らしいと思う。天災などに見舞われる人たちはできるだけ助けたほうがいいし、そうすべきだと主張する。この議論はとても堅固であり

          至高のひととき: 新感覚ジャナイナラナンダゲーム

          ジャナイナラナンダゲームの紹介をしたいと思いまーす♪ プレイは一人でもいいし、二人だったり何千や何万人と遊ぶことができまっせ。 そこの君🫵ジャナイナラナンダってなんだと聴きたそうにしているね。 説明しよう!ジャナイナラナンダゲームはハワイの西にある、いやもっと西、もっともっと西にあるジャパンというちっぽけな島国に生まれたゲームです。 発明は縄文時代から明日までの期間に関東で行われたと専門家太文操は述べています。 ゲームのルールはシンプルですが、少しセンスがいるかもし

          至高のひととき: 新感覚ジャナイナラナンダゲーム

          あっ!!という間|DABERU

          あったような なかったような 時間ってそういうものなのかな どうもこんにちは。ただ駄弁るDABERUの時間がやってきました。 今東の方(憶測)に星が光っています。最近しばらく外で文章書く時間がなかったので適当に書いていこうかな、と思います。 現在、得体の知れない焦燥感に追われ始めています。 見えないし聞こえないものに取り憑かれているのは少し気色が悪いです。 周りの世界が少し焦っている気がしなくもない。自分なのかなぁ? 冒頭の意味の分からない文言にある通り、今回は時間につ

          あっ!!という間|DABERU

          自己紹介1|DABERU

          なんか書きたいけど書きたい内容が無いよう(泣)状態の時に書く自分のことをちょびっとずつ語ってゆく不真面目な記事DABERUここで爆誕です。 今日は自慢でもしようかなと思います。 自慢ポイント;絶対音感を持っている。 これだけですかね。ぱっと思いつく自慢できることが生まれ持ったものなんてなんて悲しいのだろう… いやもうちょっと頑張ってみよう。 だめだでねえ 話題を変えてジョンの魂を買ったつもりがヨーコの魂だった話をしようと思います。 2か月ほど前吉祥寺のディスクユ

          自己紹介1|DABERU

          世界を水で満たしてその中を歩きなさい

          これから冬になるので去年気が付いたことを書こうと思う。 みなさんはとく零度ちかい時に間違えて半袖半パンで外に出ちゃうことはよくありますよね?(いやねーよ) まあ部活でジャージを忘れてしまうことがよくあったんです。 そこでやったことが 世界を水で満たすこと オノヨーコのグレープフルーツジュースに出てきそうな文言ですが、プールとかで冷たい水の中を掻き分けて歩く肌触りをイメージをして冷たい空気の中を歩くとあら不思議寒くなくなる。 自己催眠みたいなもんですがもしもの時に半

          世界を水で満たしてその中を歩きなさい

          東京の夜空

          東京の夜空はとても明るい。 ほのかな銀色の金剛力士と 微かな力を振り絞るお星様が 今夜の青い夜空を訪れている。 ソロギターを完成されたテッドグリーン。彼の音楽は沈黙と綺麗に調和する。時間があったら良いヘッドホンでもつけて目を閉じて聴いてほしい。 本題に戻る 光はがんばれがんばれと応援してくれる。 闇は頑張ったねって労わってくれる。 光がうるさいと感じる時がある。 目を閉じて落ち着いて沈黙を聴きたい時だ。 光よ消えないでくれと言いたい時もある。 夕日が夜の訪れを教える

          東京の夜空

          本気で負けるほど良い生き方はない

          昔は全力投球大好き人間だった。昔は運動が大好きでよくサッカーを友達とワイワイやる時にチームぎめを任されてたりしたんだけど、その時の人選が決して強い奴を選ばなかった。どういうやつを選んでたかというと本気を出していたやつ。別に上手くなくても超絶下手くそでも本気を出していたらどんなミスをしようが許してやれるし、負けたってきもちがすっごくいい。そんなこんなで負ける前提のチームにずっといることが多かった。 環境のせいにするわけじゃないんだけど最近は結果を求められるし、本気出しても負け

          本気で負けるほど良い生き方はない

          虫との格闘記to月と河

          僕は虫とはたぶん平均的な好き嫌いの関係にあると思っている。足が六本あれば別にさわれるんだけど、足がそれ以上それ以下だと阿鼻叫喚地獄絵図になってしまう。小学生の時に学校で蚕を育てていて、ある一週間粋がって家に小さな平たいお菓子箱に餌の葉っぱとともに入っている奴ら何匹化を引き連れて帰ってきてしまった。食卓から1メートルくらいの箪笥の上に箱をちょこんと置いたことがちょっとした悪夢の始まりであった。 蚕のあの鼻につく独特なにおいが箱を開けるたびに嫌悪感とともに部屋に広がる。学校に返

          虫との格闘記to月と河

          将来の普通な夢。

          今夜なんだけど、マリオ・バロテッリが「why always me」のインナーを世界へ解き放った時にTシャツを首の後ろにまくっているような感じで僕の小太りした腹はコンピューターと対面している。でもこれがなんか落ち着く。 今日は都会の整備された河でちびっ子たちと水遊びしていた。水面に反射した午後三時の太陽の光がまぶしかった。あとカマキリが首元まで登ってきたときは圧倒的無力さを感じた。 夏以前まで普通を毛嫌いしていた。普通とか凡庸とかあんまりいいもんじゃない。周りに溶け込んでし

          将来の普通な夢。

          沈黙を聴く能力

          周りがやかましくても沈黙を聴いているな~って思う瞬間が時々あったりする。それは耳の内側に耳を傾けることでできることに気づいた。僕は音の背景を楽しむ術をいつの間にか手に入れていた。 これ最近気づいたことなんだけど、自分の考えは実は音で耳で聴いているんだな。意識の中で飛び交う議論だったり、頼りない自分への野次だったり、あの人綺麗だなとかあいつ肩幅広!みたいなことは全部耳で聴いていた。 そいで、ただ座っているときとか電車で立ってるときとか、ふとすると考えが一切なくなって頭の中の

          沈黙を聴く能力

          なんかよくわからないけど肩書なしに何もしないで人に認めてもらいたいっていう承認欲求がある気がする。あの人何者!?っていうのにあこがれている自分に気づいた。

          なんかよくわからないけど肩書なしに何もしないで人に認めてもらいたいっていう承認欲求がある気がする。あの人何者!?っていうのにあこがれている自分に気づいた。

          かっこつけた文章を書きたくなった

          noteのことを数週間前に知り、そろそろ自分もかっこつけた文章を書きたくなってきた。 まだ自分の考え方が確立していなく、ほとんど考えることはほかの人の受け売り…そんな文章を脱却した、でもかっこいい文章を書きたい。 ということでなんか書いてみよう。 ということで、僕は数か月前まで生粋の古文嫌いだった。学校の授業もろくに聞かず、古文を見るだけで眠くなる典型的なアレルギーを持っていた。でも最近仏教の世界に興味を持ったことで様々な文献に興味を持ってきた。今読もうとしているのは歎

          かっこつけた文章を書きたくなった