見出し画像

ダニー・ハサウェイ、カーティス・メイフィールドの陰に隠れたソウルレジェンドが残したモダンソウルの傑作 『HUTSON 2(1976)』 / Leroy Hutson

「〇〇ソウル」という音楽ジャンル名が多すぎるのは、ソウル入門者にとって不親切だなぁと思う。

「シカゴソウル」「フィラデルフィア(フィリー)ソウル」「メンフィスソウル」「サザン(ディープ)ソウル」などの地域を冠した分類や、「サルソウル」「ネオソウル」といった音楽的傾向による分類、「ノーザンソウル」「ブルーアイドソウル」「モダンソウル」といった文化的な分類に加えて、「ニューソウル」「シティソウル」「フリーソウル」みたいな日本固有の呼び名まで混在していて、初めて手をつけようとした人を門前払いしてしまう複雑さがある。

流行を敏感に追いながら発展してきたソウルミュージックは、時代の変遷で音楽性を変化させていくアーティストが多かったので、実際にはそれぞれのアーティストや作品や楽曲がそれぞれのジャンルにまたがっていて、「このソウルシンガーは○○ソウルだ」と一概に言い切れない。「〇〇ソウル」みたいな呼び名も、微妙な違いで分類されているもので境界は非常にグラデーションである。
ただでさえR&Bとの境目が曖昧な上に、さらに派生したファンクやディスコやブラックコンテンポラリー、AORといったジャンルともサウンド的に隣接しているので、その多過ぎる分類および古参の「ジャンル分け警察」達の存在に尻込みして、大半の新規層はソウルを聴くことを諦める。
音楽に限らずどんな世界でも、新たなファンの獲得を阻むのは古参のファンである。

マーケティング界隈ではこの手の現象を「ジャムの法則」と呼ぶ。「選択肢が多すぎて逆に売れない」というやつである。ロックと比べてソウルの新規リスナーが極端に少ないのはそういう点も大いに関係していると思う。

そんなわけで、ソウルオタクのオッサン達の寡占を食い止めるべく、素敵なソウル作品を今後も少しずつ紹介していきたい。


さて本題。

リロイ・ハトソン(Leroy Hutson)は1945年はニュージャージー州に生まれる。高校時代にボーカルグループNu-Tones(ニュートーンズ)を結成するなど地元を拠点に音楽活動をしていた。

歯科を学ぶために進学したワシントンD.C.のハワード大学でダニー・ハサウェイとルームメイトとなり、その出会いをきっかけに自身の専攻を音楽理論と作曲に切り替え、本格的にミュージシャンを志すようになる。

大学卒業後、ダニーのツテで在学中から親交があったカーティス・メイフィールドに見初められ、カーティスの後釜リードシンガーとしてインプレッションズに加入。2枚のアルバムに参加したが、カーティスほどのセールスおよびインパクトは残せずに同グループを脱退。その後はカーティス主宰のレーベルCurtom Recordsに作曲家、アレンジャー、プロデューサーとして所属しながら、同時にソロシンガーとしてのキャリアをスタートさせる。

1973年にシングル『So In Love With You』とアルバム『Love Oh Love』をリリースしソロデビュー。その後も発表するシングルは軒並みビルボードチャート入りを果たす。師匠であるカーティスを筆頭に、親友のダニー・ハサウェイ、黄金期アイズレー・ブラザーズ、マーヴィン・ゲイらがビッグセールスを記録していた同時代のいわゆる「ニューソウル」ムーブメント下において、リロイは彼らに比べれば目立ったセールスは見られなかったものの、チャート50〜100位以内を前後するような「知る人ぞ知る」カルトスターとしてソウルシーンで一定の支持を得た。

I Think I'm Falling In Love (1976) /  Leroy Hutson


Flying High(1976) /  Leroy Hutson


Don't It Make You Feel Good(1976) /  Leroy Hutson


Positive Forces(1976) /  Leroy Hutson   ※Acid jazz再発盤のみに収録


突き抜けるぐらいメロウでグルーヴィーで気持ちがいいサウンドである。
『Hutson 2』はリロイのアルバムの中でもミッドテンポの曲が多い最もダンスフロア映えする作品である。リロイの歌声はハイトーンボイスを見せつけるような歌唱力ドヤッ!系ではなく、歌唱力よりも楽曲そのもののクオリティに比重がある。例えばリオン・ウェアみたいなディスコ前夜的なメロウと比べると、もっと生っぽいモダンソウルテイストで、ネットリ感が無く、爽やかで軽快で都会的。ミラーボールギラギラって感じじゃなくて、白い歯キラッ!って感じ。元々歯科専攻だっただけに。

反面、「面白みがない」と評されるのもリロイの特徴で、「細部にわたって緻密で精巧」な仕事よりも「破綻しているけどインパクトがある」ほうがやっぱりショービズ界では成功するものである。リロイの音楽には良い意味でも悪い意味でも癖が無く、それが没個性な印象に繋がっているのだろう。当時から業界内においてはリロイの仕事は評判だったが、こと一般的な人気に関しては今一つだった。
リロイはプロデューサーとしてもナチュラル・フォー(The Natural Four)のアルバムに携わる(彼らのセルフタイトルアルバムもヤバいです!)など名門レーベルCurtomの骨子を支えたが、結局は残念ながらシンガーとしてもプロデューサーとしても大きな名声を得られるほどのチャートアクションやブレイクスルーは果たせず、1980年代になるとソウルシーンの表舞台からフェードアウトした。

リロイが再脚光を浴びるのは1990年代以降のクラブシーン/ヒップホップシーンの誕生以降である。エリカ・バドゥにサンプリングされ話題となった『Lucky Fellow(1975)』をはじめ、Nasの『You Mean the World to Me(2019)』の元ネタになった『DON'T IT MAKE YOU FEEL(1976)』など、リロイのメロウなグルーヴは後進の多くのDJやトラックメイカー、アーティストたちに元ネタとして重宝されるようになった。

カーティス・メイフィールド、ダニー・ハサウェイという眩い光を放つ二大ソウルスターの陰に隠れながら真摯に活動していたリロイは、後年にレアグルーブ界のソウルレジェンドとしてDJ達の羨望を受ける存在に至ったのである。


恩師のカーティスも親友のダニーも若くしてこの世を去ったが、結果的に息子のJ・R・ハトソンを一流の音楽プロデューサーとして世に送り出したパパとして2009年には実に約30年振りとなる自身のニューアルバム『Soothe You Groove You』まで発表し(ご多聞に漏れずセールス自体は今一つ)、2025年現在も存命である。
改めて人生の一局面だけを比較して勝敗を判断することがいかに無意味かわかる。傍目のバイオグラフィだけで比較すれば同時代に隣に居た二大スターよりよっぽど幸せそうな余生である。

真面目にコツコツやってるけど、給料も程々、自分よりも隣の人にスポットライトが当たってちょっと悔しいなぁみたいな、スパイス程度の不全感を抱えながら日々を暮らすあなたにこそ、「やっぱりちゃんと仕事してりゃいつか報われるんだな」と思いながらリロイ・ハトソンを聴いてほしい。

いいなと思ったら応援しよう!