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Wokeな日々と共に生きる

生まれたときに貧乏なのは自分のせいではないが、死ぬときに貧困なのは自分のミスである、で有名なビルゲイツ氏はMicrosoftを創業しただけではない功績をいくつも持っています。その仕事ぶりはとんでもないもので、やはり天才という言葉に似あっていると言わざるを得ません。

天才といえば、ゼロから何かを生み出すようなタイプもいれば、もともと何かがあってそこから100へと持っていくイチヒャクタイプもいるでしょう。更地から何かを生み出し、一気にスケールさせるところまでできる怪物のような才はそれ以上ですが、発現させるにはとんでもない確率と運の良さが求められます。

さて、そのような発見についてある界隈ではWokeという言葉をつかって言いまわされいたりします。その界隈というのはまさにポリティカルコレクトネス界隈であり、ジェンダーマイノリティの世界で議論する人々のことです。

Twitterで一時期議論されてきたこの題目は、テキストの枠を超え外見やイラストに移ったと思いきや、いまではYoutubeという動画サイトにまで進出していることがわかりました。試しにYoutube検索で「ポリコレ」と日本語でうってみるや否や、大量のポリコレ関連動画が表示されてしまいます。

ポリコレに関しては多くの意味合いを持ち、また同時に多くの側面を持ちます。そのため一言で上記のような単語を発言しても、それがLGBTのことを指しているのか、フェミニストに対する発言なのかなどいろいろとアバウトなことになってしまいます。例としてはとある映画作品がポリコレに準拠しすぎて売り上げが伸び悩む、であったり、ジェンダーニュートラルを目指した一方で女性スポーツ大会でトランスの方が優位に立つ、などです。これらはどちらもポリコレの範疇といえます。

とはいっても、映画やスポーツは全くの別物であり、そこで生じている共通項でくくれる問題というのは中々認識し辛かったりします。

ポリコレは、ジェンダー平等や人種差別撤廃だけでなく、環境問題や動物愛護問題についても当てはめることができます。まさに、ドイツで暴れている環境活動家の方もポリコレを利用していると言えますし、犬猫に人類同然の生存権を、いや、植物にでもミトコンドリアにも権利を付与したがる愛護活動家の方もポリコレの一環であると言えます。

そんな感じで、ポリコレのスピリットはそこかしこにあると言え、じつは別段環境団体やフェミニスト、ミソジニストに参画したいと思ってどこかに足を向かわせなくても、普通に生活しているだけでポリコレに遭遇することは珍しくありません。

本記事のタイトルは「Wokeと共に生きる」的なものですが、同時にこれはポリコレと共に生きるという意味でもあります。

ジェンダーマイノリティの話を挙げると、まさにジェンダーというのは今のクリプト界隈のようなものなのではないかと思ったりします。例としては「話を理解しない、乃至はITに疎い人々」が「ジェンダーマジョリティ」であり、クリプト起業家がジェンダーマイノリティに当てはまるということです。これはジェンダーについてのWokeだけではなく、フェミニズムや環境活動、動物愛護問題にも同じことが言えます。

つまり、それらの活動は今まさに、もしくはどこかでクリプトバブル起きたようにとんでもない世界の潮流になって誰でも直面することになる可能性があるのです。私個人では、暗号資産にとんでもなく足を突っ込んでいる状況にはありますが、現在のポリコレをめぐる環境を考えると、これらがいつかインターネット空間を飛び越え、自身の生活圏にも影響を与える未来を案じてしまったりします。

それは考えすぎだ、というのもあるかもしれませんが、実際インターネットを超えてポリコレが自分の机の前まで遠足しに来たとしてもそこまで脅威に思うことはありません。なぜなら、ポリコレを暗号資産のように、乃至はこれから来るであろうインターネットオブビヘイビアのように、テクノロジーに期待が過熱する時期もあれば、それについて幻滅し、啓蒙していく時代もまた存在するからです。

もしもこの世界が正常であるならば、もしくは、テクノロジーハイプサイクルのようなものがポリコレ全体にも当てはまるならば、それはいつかバブルを迎え幻滅期を迎えることが予測できます。それを見越した時、机の上にWokeの旗が掲げられていても、なんの気ぶれもなく活動できると断言できるのです。

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