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未来を振り返って──ZEN大学×ゲンロン共同講座「君たちはどう学ぶか」に向けて

こんにちは。ゲンロンで働く大学院生の青山俊之です。

2023年10月30日(月)19時から、ZEN大学(仮称)(設置構想中)とゲンロンの共同講座「君たちはどう学ぶか──少子化・AI時代のユニバーサル教育(と政治参加)」が開催されます。登壇するのは、元参議院議員の鈴木寛さん、作家の乙武洋匡さん、聞き手を務めるのはゲンロンの東浩紀です。

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今回の共同講座の実施は3回目です。企画が始まった4月からちょうど半年が過ぎました。ZEN大学とゲンロンの共同講座を振り返り、その意義と魅力をお伝えするべく筆を取りました。行くぞ!

新時代の大学を見据えて

これまでの講座では、1回目には人工知能を題材に「知性とはなにか」を考え、2回目には数学界で論争を巻き起こしたIUT理論をテーマに「数とはなにか」を議論してきました。これらを実施する上で念頭にあったのは、「新時代の大学」に即したテーマを選ぶことです。

ChatGPTをはじめとした生成AIが普及したこの1年で、AI時代の到来が現実味を増してきました。今後、人間の労働がAIに置き換えられるかもしれません。AIによって人間はもっと楽に生きれるのかもしれない。もしかしたら、社会の格差や個人の生きづらさは増してしまうのかもしれない。どこまでがどう変わるのか、変わらないものはなにか、変えるべきものはなんなのか。

こうした漠然とした問いを考えるのに、これまでの講座はうってつけです。たとえば、「知性」を司る「言語」も「数」も、人間社会と機械技術の関係を考え直すことにつながります。「新時代の大学」に即す、言い換えれば未来を振り返っても学びがいがあるのはこうした古くて新しい問いではないでしょうか。

今度の3回目の講座は、AI時代と少子化の未来を見据え、より具体的に「どう学ぶか」を考えるものです。その内容は「生もの」である当日のトークで味わっていただくほかないのですが、何点か、ぼくの観点から3回目講座をめぐる状況とその意義の補助線を引き、講座の紹介をいたします。

「訂正する力」は「老いる力」

2010年代は誰もがネットでつながり、コンテンツをつくり、そして「フェイク」と「正しさ」の声があふれた時代でした。大きく状況が変わらないなか、日進月歩のAIが生活に浸透する2020年代のいま、わたしたち人間は、なにをどう「学ぶ」べきなのでしょうか。

3回目講座に登壇する東浩紀は、その答えの1つとして「訂正」をキーワードとした哲学を論じています。9月に刊行した『訂正可能性の哲学』をより噛み砕いた『訂正する力』では、訂正する力は「老いる力」とも言い換えられます。いわく、人間は老いるほど過去の自分への訂正を積み重ねざるをえない。

昨今、「アクティブ・ラーニング」ということばが注目を集めていました。こうした教育論では「子ども」が主体的に学ぶことが重視されます。それに対し、東の哲学では老いながら「訂正する力」を子どもに見せる「大人」ならではの責任のとり方が論じられています。

本当はそういう純粋さだけでは人間は生きていけません。そもそも年齢を重ねればだれでも変化する。「訂正」する。純粋さをあきらめて、変化を肯定することが大切です。

『訂正する力』(53頁)

今回、第3回講座の登壇者はみなそれぞれの固有名を世に轟かせた「大人」です。乙武さんは教育論者・政治活動家でありつつも選挙に落ちる経験をし、鈴木さんは文科省や民主党での活動や頓挫した大学入試改革の経験、東は自身のゲンロン社での失敗を『ゲンロン戦記』で語り下しています。

ゲンロンカフェの特徴は、なによりも「長く話す」ことです。講義以上にとにかく長く話します。2023年の平均はなんと5時間13分! 普通、こんなに長く聴いていられません。ですが、ゲンロンカフェは今年で10周年。お客さんに愛されているわけがあります。それはなにか。

ゲンロンカフェの醍醐味も、じつは「訂正」の経験です。というのも、長く話すと次第に疲れて「本音」が出てきてしまう。こういった建前と本音がスイッチする瞬間に至るまで、その時間には冗長的で余計な情報も多いかもしれない。そもそもそんな瞬間が起こるかどうかもわからない。しかしながら、思わぬ知見や人物との出会いという「訂正」の経験がゲンロンカフェでは味わえる(ことがある)。

ぼくは今回出演される3名を思い浮かべたとき、いままでの講座にはない「それ」が今回の講座では起こるのではと期待してしまっています。

熟議、希望、訂正

鈴木さんと乙武さん、そして東だからこそ、政治と教育の過去・現在を訂正する生きた知恵が見出せる。そう期待する所以が、登壇者3名の固有性にあります。

今回登壇する鈴木寛さんはZEN大学のチェアマンに就任します。鈴木さんが重視してきた方法と運動を表す言葉が「熟議」です。熟議とは、簡単に言えば、自発的な人々による対話を基本とした政治参加です。メディアで流布するステレオタイプに踊らされないリテラシーを持ち、敵を作るためにではなく、信頼関係を作り上げるための対話を重視する。こうした政治思想は「熟議民主主義」と言われます。

東浩紀もかつて『一般意志 2.0』にて熟議に触れています。情報技術に覆われた社会において、社会的な現実に対する個々人の熟議による意識化(一般意志 1.0)と現実をめぐる無意識の記録とその可視化(一般意志 2.0)の二つの手段から政治思想を編み出す。つまり、熟議とデータベースを駆使して新たな政治参加を生み出す。この構想は、ゲンロンのプラットフォーム「シラス」における登壇者による対話と、画面上に寄せられるコメントとして具現化されるようになりました。

2013年に一度、鈴木寛さんはゲンロンカフェに登壇され、まさにこの熟議をキーワードとした対談を東と行っています。鈴木さんの目から現在のゲンロンカフェはどのように映るのでしょうか。

イベントの開催を記念して、約10年前の2012年8月に行われた
鈴木寛さんと東浩紀の対談の記録を掲載しています(webゲンロン)

他方、乙武洋匡さんもゲンロンカフェでご登壇いただくのは2014年以来です。そのタイトルは「希望のつくり方──ネット・教育・都知事選」。当時、乙武さんは東京都教育委員を、その前には2007年から3年間、東京都杉並区の公立小学校で現場の教師を務めていました。当日の対話をまとめた本の中では、現場の教師としても教育委員としても日本の教育を変えることの限界を感じた乙武さんに、東が「いよいよ出馬する、ということですね?」と話題を振られるシーンもありました。

乙武さんは、スポーツライター時代、「五体不満足」だから、「障がい者」だからではなく、「乙武」だからこそ仕事をもらえるようになった経験で胸を張れるようになったと言います。これに対し、東が投げかけたのが「障がい者の乙武」としてではない立場から「首長」になることの価値でした。というのも、アメリカで黒人が大統領になって注目されたのは「少数派が多数派を」考えることにあり、少数派が少数派のことを考えることよりも一歩先のステージに進む。

現在だけではなく、未来への理想とその責任を担うのが政治と教育だとすれば、乙武さんにはZEN大学の取り組みと現在の政治はどう見えるのでしょうか。

未来を振り返って

私事ですが、今年度に大学院を卒業予定で、いまは学生の最後の仕事である博士論文に取り組んでいます。博論を書きながら、ぼくがずっと考えていたのは「普遍性とはなにか」ということでした。「未来を振り返って」という同題は、実はとある学会誌の巻頭言に寄せられたものです。そこでは日本政治における(一部の)国会討論のやりとりなど「やってる感を出す」ことが目立ち、「達成しないことを達成する」ような形式的な型が先行しがちであることが指摘されています。

一方、学問も現象を観察し、分析・考察することから構想されるものです。その意味では、学問も形式を重視します。しかしながら、形式は時に裏切る。知らぬ間に「やってる感」に陥ってしまう。ある種の慣れを引き剥がすには、現在の経験に耽溺せずに、時には「未来を振り返って」物語る大胆さが必要なのかもしれません。

人間社会が無意識に繰り返してしまう反復性を見出し、その訂正可能性を考える。そこには、人文学ならではの普遍性が宿る。

ゲンロンカフェが実現する非日常な「長い対話」は、日常を時間をかけて別様に再解釈する訂正の最先端の現場です。ぜひ一度、会場に足を運んでその訂正の経験をお確かめください。

第3回の共同講座のテーマは「ユニバーサル」です。鈴木さんは「学びたい人なら誰もが学べる環境をつくる」とZEN大学の目標を掲げ、乙武さんは自身の経験と境遇から「選択肢を広げる」ために活動をしていると公言しています。

ZEN大学にはどのような未来がありうるのか。異なる他者と出会うインクルーシブな社会は教育からどう実現できるのか。これらの未来は、これまでといまの日本の社会と教育をどう訂正しうるものなのか。ZEN大学とゲンロンの共同開催だからこそできる、刺激的な討論にご期待ください。来てね!

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