「友の会だより」創刊準備号より
友の会のみなさん、こんにちは。新規入会の方は、はじめまして。『ゲンロン13』をお届けします。
『ゲンロン』の配送の大半は、いままでゆうメールを利用していました。ところが最近、ある事情で送り状を同封できなくなってしまいました。そこで今号から「友の会だより」を送り状を兼ねたものとして別送する次第です。本状に続き『ゲンロン13』が数日後にはお手元に届く予定です。本状は、友の会第12期のみなさん、そして第13期に『ゲンロン13』を追加するパックで入会したみなさんにお送りしています。
さて、突如誕生した「友の会だより」の紹介は代表の上田に任せるとして、ここでは『ゲンロン13』について記すことにします。前号から1年、ロシアによるウクライナ侵攻によって、コロナ禍に続き世界はふたたび大きく変化してしまいました。『ゲンロン』は時事を分析する論壇誌ではありません。むしろ時代から距離をとり、別のリズムで思考を刻むための場所でありたいと願っています。
それでも、今回の目次は『ゲンロン』の歴史のなかでもっとも生々しく状況を反映するものになってしまいました。小特集はロシアの精神文化を、巻頭鼎談は権威主義と民主主義の対立を論じていますが、それらはともに戦争に直接に反応しています。三浦瑠麗さんと辻田真佐憲さんの対談は侵攻直前に収録されたものですが、核武装の是非で終わる議論はますますアクチュアリティを増しています。やなぎみわさんの特別寄稿でさえ、台湾が舞台ということで、いまや軍事的緊張を連想させます。編集長としてはそのような時代との共鳴を喜ぶべきかもしれませんが、実際は複雑な気持ちです。
ぼくはこの数年、世界を「友」と「敵」に分けることの不毛さを、そして時代の切迫に巻き込まれて思考停止に陥ることの危うさを訴え続けてきました。現実にはそんな訴えには関係なく、人々はますます分断され、ますます心の余裕を失いつつあります。ぼくがこのところ感じているのは、ああ、国が乱れ、社会が壊れるというのはこういうことなのだなあ、というどこか冷え切った距離感です。世の中はどんどん悪くなっている。このままでは次世代が不幸だ。だからなにかしなければならない。みなそう思っている。けれどもそのひとりひとりの善意は、もはや人々をさらに強い不安に駆り立て、社会を壊す役にしか立たないのです。ぼくたちがいま直面しているのは、個々のヘイトやデマの問題というより、そのような状況全体の機能不全なのであり、それは社会の片隅で警鐘を鳴らしたからといって改善されるようなものではありません。ひらたくいえば、ぼくはいま言論人として強い無力感を感じています。
しかし、それは裏返せば、ゲンロンのような友敵分割の切迫に巻き込まれない場所を守り抜くこと、それがますます重要になっているということでもあります。ゲンロンは創業して13年目、ゲンロンカフェも来年の2月で10周年を迎えます。正直言って、弊社の仕事はどんどんやりにくくなっています。中傷も多く、弊社のスタンスが理解できずに去るひとも増えています。チェルノブイリ(チョルノービリ)も、もう行くことはむずかしいでしょう。けれども、それでも、ゲンロンは、いつかまた平和で明るい時代が戻って来ると信じて、そのときのために、人々にかつて心の余裕なるものがあったということを思い出してもらえるような存在として、できるかぎりがんばっていきたいと思います。
書きすぎました。以上は編集長の愚痴のようなもの、読者のみなさんには、そうはいってもまだあるていどは多様性を保っている、おもちゃ箱のような『ゲンロン13』の目次を楽しんでいただければと思います。
ゲンロンと『ゲンロン』をこれからもよろしくお願いいたします。
東浩紀
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