詩が好きだ、本当に
この時期は梅雨そのものより「梅雨」という言葉にうんざりとしてくる。
「梅雨に入ったから空気がじめじめとして不快」「梅雨は洗濯物が乾きにくくて困る」といった具合に、どうも梅雨というのは世間には嫌われているらしい。
僕は好きだ。梅雨、というより、雨が好きなのだ。雨の音、香り、アスファルトが黒く濃くなっていく様子、人々が少しだけ静かになる。
雨の日はなぜか創作意欲が増すようで、感性も雨と共に流れ落ちてくる。
ただ、ここ一週間はどうも様子がおかしかった。詩について考えると、まるでそこに分厚い透明の膜ができたような感覚になった。いったい僕は何のために、誰のために詩を作っていたのか、どうやって作っていたのか。完全に迷子だった。
こういうとき、無理に何かを創ろうとすれば、結果には搾りかすのようなものしか産まれないことを僕は知っている。だからしばらく詩や芸術とは離れて生活をしてみた。
その間には本当に様々なことが起こった。恋人ができたり、歳の離れた妹が生まれたり、数年来の付き合いの親友に傷つけられたり、とにかく毎日の日記には困らないような日々だった。しかしそれでも、まだ詩を作る気にはなれなかった。
昨日、詩人最果タヒさんの詩の朗読集「こちら99等星」のデジタル配信とサブスクリプションが解禁された。もとは「詩のホテル」にて限定発売されていた「詩のレコード」収録のものだ。
僕はもちろん喜んで、今朝通勤の車内にて再生をした。最果タヒさんの扱う言葉たちは相変わらず虹色に輝いていて、まるで僕の心を直接慰撫してくれるような心地に陥った。
気付けば、目には涙がにじんでいた。運転中なので急いで拭ったが、このとき、僕は自然にこう思った。「ああ、僕は詩が好きなんだ」と。
そして今日、数日ぶりに詩を書いてみた。言葉は不思議なほどすらすらと出てきてくれた。ただ言葉を連ねるだけの作業なのだ、言ってしまえば。ただ、その作業が、とても楽しくて、温かくて、救われた。
僕は詩が好きだ、本当に。僕は僕のために詩を書くし、僕自身と向き合うことで、詩は生まれるんだろう。そしてその詩は僕自身となって明日になる。
この空白の一週間は僕にとって大切なことを気づかせるための一週間でもあったみたいだ。恋や、憎悪や、不安は、僕の詩によって完結するのかもしれない。その全ては優しさでありたい。僕は詩が好きだ、本当に。