生と死 その命の行方。ヒトも自然の循環にクミコマレテイル。 by 稲垣文拓(GEN監査)
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人も動物も他の命を口にして生きています。野生に近いところでは、動物の死は、即他の生命の糧になります。農作物の食害を防ぐために駆除された動物がたくさんいます。差し出されたその命が、私たちヒトに、どう扱うのか?の問いを投げかけています。
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今年の夏も暑かったですね。クーラー要らずの拙宅でも、寝苦しい夜が何度かありました。野生動物にとっても、この暑さは堪えがたかったようです。やせこけたシカがよろよろ徘徊していましたし、何か腐臭があるとのことで野山を探しましたら、休耕田の草の茂みの中で、シカ成獣が死んでいるのを見つけました。このシカは、すでに動かなくなって一週間以上経っているようで、干からびた4本の足しか残っていなかったのですが、背から頭にかけての部分は、残念ながら見つかりませんでした。恐らく、キツネやイタチが来て巣に運び込んだ後ではないかと思います。
野生動物が死ぬと、いろいろな動物がよってきます。一体どのように変化していくかご存知でしょうか? すぐさま、匂いを嗅ぎつけて、やって来るのがハエとカラスです。そしてキツネや、イタチが、死体をバラバラにします。そして、腐肉は、トンビの格好の餌、また、骨をシャブリにシカ、イノシシも来ます。イノシシは、意外にも仲間の死肉も食べます。シデムシやゴミムシなど肉食の昆虫も集まっているでしょう。それを狙った生き物もやって来ます。そして、5日も経つと、その肢体は骨と皮になり、半月ほどで、同じ場所にあったことさえわからなくなります。こうやって一つの動物の死は、ほかの生物の生きる糧になって、新たな生命の一部になるのです。自然界の摂理は、大小強弱選びません。もし、私が深い竹藪の中で出られなくなって死んでも、同じことが起きるはずです。
日々の慌ただしい生活の中では、死について一部始終を見ることもなく過ぎていきます。路上に出て車にはねられたアナグマ。こんなふうに、不都合なものとして取り去られるのです。また、里山といわれるここ西山の一帯では、野生鳥獣が農作物を食べて出荷できない被害がひどく、有害鳥獣捕獲事業が展開されています。狩猟者、猟師の活動の一環です。猟期とは別に、指定区域、指定期限に限り、一定数のカラス、イノシシ、シカ、サルを捕獲し、駆除することが目的となります。人の暮らしが、多くの動物を死に至らしめています。その多くは、資源として利用されず処分されています。
汚い話でごめんなさい。
ある時、山に入って獲物を待っていましたら、どうしても腹が痛くなって、気づかれないように、野**をしてしまったんです。その時は、急いでいたのでそのままにして帰ったのですが、気になって、あくる日片付けにその場所に行きました。そしたら、ないんです。その代わり、イノシシの足跡が一直線についていました。
どうやら私も、自然の循環に取り込まれてしまったようです(笑)。
気になるのは、私の野**を食べたイノシシのこと。ほかの誰かに獲られて食べられたのだろうか? それともまだ生き延びているのだろうか? 少々、複雑な心境なのです。
風景画像(タイトル画像)は、村の一番高い所にある棚田です。数年前までは、この画面全体が黄金色に染まった棚田の波でした。
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