「美しい」という感性に生きる
はじめに
今、僕はこのnoteを家のパソコンで書き始めた。
「そんなの言うまでもない。普通だろ。」
そんな声が聞こえてきそうだ。
でも、これは今の僕にとっては異常なことだ。
旅のはじまり
前回のnoteで書いたように「美しい」という感性を大切に生きていきたい
ということに気が付いた。
ここ最近、「美しい」と感じた瞬間にメモを取るようにしていた。
言葉になってきたのはこのあたりだ。
<木下の「美しい」ことリスト>
・言葉以外で通じ合える瞬間
・能力が100%発揮されている瞬間
・心の我慢/抑圧がない空間
・無駄がなくぴったりな感じ(服のオーダーメイドのイメージ)
・執着して依存せず心に刻みこんで残しておく感じ
・人の本音を滲み出させる何かしらのクリエイティブ
・人が本音を発すること
・偶然つながること
・人が何の我慢/抑圧もなく同じ時を過ごす様
・完璧にならないと分かっているのに目指す様
・自然の摂理に従って、生まれて無くなっていく様
・無数の選択肢の中から人が意思をもって何かを選び取る様
・相手の見えている景色を見ようとすること
・・・・・・
※備忘録的に書いてみました。「ふーん」と眺めてもらえると嬉しいです!
とにかく僕にとってはこういった「美しい」ものに触れている瞬間がとても幸せだ。
気心知れた仲間とキャンプで腹の底から笑って話すとか、そのとなりのキャンパーと仲良くなるとか。
それをもっと感じたくて、この土日に「美しい」をテーマにした1人旅に出ようと意気込んでいた。
はじめに自分の好きな場所に行って、そこで偶然出会った人に美しいと思った場所を教えてくださいと聞く。計画性は全くなく、人の思い出だけで繋がっていくそんな1泊2日の旅をイメージしていた。
旅のおはなし
前日、遅くまで友人と呑んでいた僕は昼過ぎごろからゆっくりと旅に出た。
きれいな場所を記録できるようにカメラを準備して、寒くないように服もたくさん準備した。旅から帰った時に友達と話せたらいいかもと思ってインスタグラムに旅に出ますというストーリーまで投稿した。何人か反応してくれて温かい気持ちになった。
今年悩みが多かった僕がよく足を運んでいた近くの公園から旅を始めようと、車を20分ほど走らせた。
どこか懐かしさを感じる風景。久しぶりに来たから植物の元気のなさにびっくりしたけどこれから来る冬の気配を感じることができた。
形から入る僕は、温かいし旅人っぽいかなとミリタリーコートを受け取ったばかりのボーナスで購入していた。意気揚々とそれを羽織って、公園を歩き始めた。
寒いからだろうか。いつもより人通りは少なかった。
時々通る人に話しかけようとしたが、予想外のことが発生した。
さわやかに挨拶を決めて世間話をする予定だったのだが、みんな僕のことを怖がって足早に去っていく。
無理して話しかけるものでないし、旅人たるもの気長に待とうと次の人を待った。
(この時、学生時代にバックパッカーをしていた会社の同期から旅は気長にというメッセージをもらったことも僕の背中を押した。)
気長に待ってもまた同じ。また同じ。めちゃくちゃ寂しかった。
「どこに行こう」とインスタグラムのストーリーに投稿して気を紛らわせていたその時、
近くをとったふわふわのかわいい犬が僕に近づいてきてくれた。
飼い主の人と少し話をしたが、急いでいたようで聞きたいことは聞けなかった。
そのあとは日も落ちてきて、ぱったりと人通りが止んでしまった。
自慢のミリタリーコートでもさすがに寒くて車に戻った。
とても惨めな気持ちだった。
公園は落ち着いている雰囲気で大好きだった。
でも人と話すことができなくて寂しかった。
公園の外にはとても広い世界が広がっていることは知っていたけど出られなかった。
公園のことがちょっと嫌になっている自分がいた。
その感覚ははじめてじゃなくて確かに知っている感覚だった。
やりたいことがあるのにやらない、他責で、不満ばかりで、もどかしい自分。
遠くに行っている人がうらやましくて頑張るけど続かない。
周りに宣言してみるけどひっそり辞めてしまう。
最高の分析/準備だけして実行しない。
環境が悪い、他者が悪いと自己正当化してまた同じことを繰り返す。
そんなことを考えて自分に目を向けてみた。
ふわふわの犬のように純粋な興味を持って、実際に行動に移せていたのだろうかという問いが降りてきた。全然できていなかった。自分の本音の通りに行動できなくて後悔して他責にしていただけだった。
そうして隣町のジムで体を動かして、自己肯定感を回復させて帰宅した。1泊2日の旅は、数時間の徘徊となった。家でこのnoteを書いている理由だ。
仕事のおはなし
少し話は変わる。
最近、1年目の時にOJTについてくれていた先輩と定期的に話している。
その場で最近すごく大事な気付きをもらえた。
「れいって環境とかを変えられないものと思い込みすぎているよね。それだとずっと不満が消えないままになっちゃうよ。見方を変えて自分で自分のこと幸せにしてあげないと。」
そう言ってもらえて、僕は形式ばった会話ばかりでもやもやしていたお客さんに仲良くなりたいですという謎の電話をかけて、仲良くなることができた。
打ち合わせで前とは違って自然に笑ってくれるお客さんを見て、仕事で提供できる価値は提案施策の効果だけではなくて、自分と話す時間も含まれているなと気付くこともできた。
1社だけそういうお客さんができただけなのに仕事への不満をあまり感じなくなった。
前までは職種がとか、領域がとか言っていたが気にならなくなってしまった。
僕にとって本音で交わるということが幸せに大きく影響することが証明された。
仕事は何でもいいと思った。
自分の見方次第で、どんな仕事でも自分の幸せと交わる部分を増やしていくことができるから。美しいと感じられる時間を長くすること=幸せを目的にして、自分の仕事・遊びとか全てをデザインしてしまえばいいから。その過程で感性も磨いていけたらいい。
でも不安にもなった。どこでも幸せになれるからと惰性でいていいのかと。
どこにいるのかを自覚的に決めたいと思った。
またまた旅の話に戻る。
ふわふわのかわいい犬を見て気付いたことがある。
こんな風に人と人の間を媒介するものがあれば、もっと交われるのかもしれないと。
友達といった大好きなアーティストのライブの帰り道に熱く語れるな。
おいしい居酒屋さんに行くととなりのおっちゃんにおすすめメニュー教えてもらえるな。
友達と星を見ているとなんか不思議な気持ちになるな。
そんなものを作れるようになりたいし、媒介するものがなくても交われる人でありたい。
(人を良い悪いで裁かずに、純粋に興味を持って接すること。これってめちゃくちゃ大事だと思う。効率化という名のもとたくさんの無駄が奪われている。けど、そういう無駄の中に本当に大事なものがある気がする。争いをなくすためにも相手を裁かずに主張を聞くことが大切だと思う。価値を発揮するときにも自分の価値観を度外視して人の見ている景色に浸ることが大事だと思う。)
何を作るのかは正直見当もつかない。
だから今はたくさん種まきをしたい。
見当がつかないからたくさんのサンプルが必要。
決まりきったことを100回やるよりも、100種類のことを1回やりたい。
とにかく多種多様な経験(サイクルが短い?自分一人でも完結できる?とか)を積めるところに身を置きたい。
これだ!というものが決まったら、お得意の集中力と探求力で一気に進めばいい。
僕の旅は続く
今日は家に戻ってきたが、明日また朝から旅に出ようと思う。
自分から純粋に興味を持って素直に話しかけてみる。
良いか悪いかどうかは相手が決めることだから。
自分の価値観を外して、相手や自分を裁かずに純粋に興味を持って見られるようになったら生きづらさって解消されるんじゃないかな。
そんなことを考えながら今日は筆を置きます。
ここまで読んでいただいた方ありがとうございました!
※2022.12.26追記 旅2日目
朝早めに家を出て、昨日と同じ公園に向かった。
何かしらがプライドもあった。昨日気付けたことを意識すればどこかかでも関係ないということを証明したくなっている自分がいた。
公園到着後、10分。
犬を散歩している人がいた。
その前には泥の中にものすごい勢いで顔を突っ込んでエサを探すカモの大群。つい目を奪われるような激しさだった。
「エサ、探しているんですかね」と話しかけてみた。
自然と会話が始まり、肩から掛けていたカメラに気付いてもらえた。
それをきっかけに旅の話をしてみた。
よく釣りに行く人で、海とか水がきれいに感じるという話をしてもらえた。
教えてもらったのは千葉県旭市の屏風ヶ浦。
グーグルマップで調べたら3時間弱の場所にあった。
昨日とは違ってすぐの出来事だった。
こんなにも簡単なことができなかったのかと思いながら、車を走らせた。
散歩していた人は心に余裕があった。
散歩という目的があるのに、カモの行動も僕の持ち物もよく観察していた。
世の中に足りないと感じるものの1つがこれな気がした。
仕事が多すぎたり、何かしらから抑圧を感じていたたり、、、
体・心・頭に余裕がないから「自分は!」になってしまう。
それは他者の居場所を奪ったり、争いを引き起こしたりしてしまう。
主語が偏っていて、妬み・憎しみにまみれたこの不公平で争いの絶えない世界を、孤独・抑圧がない本音とつながりにあふれた公平で平和な世界にしたい。
僕は美しいという感性のほかに、正義感も昔から強い。
僕にとっての正義感は「主語の偏りがなく公平かどうか」だ。
年齢も地位も権力も関係なく、人には平等に主語になる権利が与えられている。(だから、礼儀とかを適当にやりがちで怒られることもある。もちろん、僕は後輩に同じようにされても怒らない、というか気にもならない。)
少し話がそれてしまった。
屏風ヶ浦に着いて、もちろんきれいとは思った。
でも、自分がずっとしていたいのは1人旅じゃないなとも思えた。
(旅はもちろん好き。あのゆっくり贅沢に時間が流れる感じも、何が起こるかも起きないかもわからない感じも好き。)
もっと強く感じた想いは「人の会話や興味のきっかけになるもの/心の余裕を生み出すものを作りたい」「一瞬話すだけではなく本音とつながりにもっと長い時間浸っていたい」だった。
さぁ、また新しいことに気が付けた。
またこうして小さな実験を繰り返して、自分に起こる変化を見ていきたい。
※年末年始は社会の仕組み・世界史を勉強してみる。
自由とは何か。抑圧の正体は何か。なぜどのように革命が起きたか。などなどを勉強する機会にしてみる。
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