コロナ禍2020〜2021随想①
はじめに
得体の知れないウィルスの突然の襲来を受け、一時的に立ち止まったランナーは、やがてマスクやバフなど感染防止策を講じて、再び走るようになり、緊急事態宣言により社会活動が制限される中、それまで走る習慣がなかった人まで走るようになるという社会現象が生じた。そして、新型コロナの感染拡大に伴い、新しい生活様式、withコロナという言葉が生まれ、コロナと闘うのではなく、知恵を絞って如何に上手く同居して行くかという適応性が求められてもいる。大規模なマラソン大会は中止に追いやられ、走る目標を失ったという理由から走らなくなったランナーも現れる一方、リモートを駆使してランナー同士がつながる場面を創出しながら新しいスタイルで開催するランニング大会も現れるなど、コロナ禍はタイムに拘る競走から共走というパラダイムシフトの機会を与えているようにも思える。
2020東京オリンピックは延期となり、正月の駅伝大会は沿道の応援を自粛要請しながら行われ、多くのスポーツイベントが観客数限定もしくは無観客での開催となっている。前向きに捉えるならば、コロナ禍はある意味新しい発見や再考する機会を与えているのかもしれない。つまり、私たちは何のために走るのかである。そこで、これまでの一年間に及ぶコロナ禍を通じて、私なりに考えたことを文字に留めておきたいと思う。
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