ハワイには「アロハ アイナ」という言葉がある。 これは「土地への愛」という意味らしく、『私たちは土地とそこに生きるすべてのものに生かされている』という考え方なのだそうだ。 私は、アロハ アイナを知った時に、「地産地消」という言葉が頭に浮かんだ。 その地産地消であるが、これには生産者の顔が見えたり、新鮮だったりという安心安全面に加え、流通の簡素化による価格面のメリットなど、「生産と消費」という経済面の要素が強いことから、アロハアイナとは少し違うような気もする。 それでも地産地
10年前に飲食店が幾つも入る屋台村(20軒)を開業させた実業家N氏は、開業して2年目を迎えることなく、火災で全てを失った。物件のオーナーとしてその後の賠償や返済に追われる日々。すっかり気持ちが萎えていたN氏は、ある日県内最古の120年木造駅舎が遺る山間集落を訪れた際、その人里離れた鄙びた雰囲気に憔悴していた心が癒されたのだった。 その後、足蹴に通うようになり、すっかり地元の方とも顔馴染みになったN氏は、高齢者だらけのその集落のお役に立てればとの思いが湧いて来た。これまで
2023年9月10日、岩手県盛岡市で開催されたマラソン大会で60代の男性が死亡した。男性は10kmの部に出場し、8.5km地点で倒れたという。 10km程度の距離ならと、普段からトレーニングしている人もしていない人も自由に気軽にエントリーできる一方で、いざ走り始めると競走意識が働いたり、それなりに制限時間があったりするので、無理するケースが考えられる。 走るという運動形態は、身体機能に不具合が無ければ、誰でも参加し易いものの、普段からトレーニング習慣がある人に於いても、
私がマラニックを知ったのは、1995年だったと記憶している。ランナーズという雑誌に山西哲郎先生がマラニックの話を書かれていたように思う。 当時の私は、タイムを縮めるために通勤ランをしたり、週末に長距離ランをしたり、ストイックにランニングに取り組んでいた。 そんな矢先、マラソンをレクスポーツとしてピクニックのように楽しめるやり方があることを知った。マラニックはLSDやスロージョギングと共通な要素があり、無理せずゆっくり走りで行なうので、ランニングの楽しさに気づけるのだ
昭和54年(1979)、高校を卒業して東京の大学に進学した。 故郷を離れ、今年で44年。 大学卒業後に神奈川県のリハビリテーション病院に勤務して、28歳で結婚。 3人の子供達も独立したり結婚したりで子育て終了。 厚木市、小田原市、秦野市と移り住み、縁あって7年前から北海道へ。 安住の地になる予定でいたのも束の間。 90歳を前にした父に癌が見つかり、郷里へ戻る機会が増えるに連れ、故郷の実情に危機感を覚え、鹿児島へ戻ることを決断。 11月に土地を購入し、いよいよ家を建てることに。
今朝は、久しぶりに文章を書く気分になった。 コロナ禍を体験したこの3年間。 私は世の中が変化して行くことを客観的に眺めて来たように思う。 ウィルスに感染すると重症化し、死に至るという恐怖に人々は慄き、社会活動は停止を余儀なくされた。 それでも地球規模で考えれば、停止しているのは人類だけで、他の生物の日常には大して影響はなく、むしろ人類の活動停止により、地球環境が好転したという報道も聴かれたほどだ。人類が与えている地球環境へのインパクトを意識させられるこの報道は、人類の活動が地
ランニングブームも手伝い北海道ではここ数年、雪のシーズンにも走るランナーが増えてきた。○○スノーマラソンとか○○スノーランニングという名称で大会も開催されるようになっている。そんな最中、私は北海道の雪のシーズンに相応しいランニングの呼び名を探していた。インターネットで検索しているうちに「アイヌ語とハワイ語の気象語彙に関する対照研究について(松名 隆・塩谷 亨、第44回大会プロシーディングズ pp. 12-17, 2004.室蘭認知科学研究会)」を見つけ、研究論文を読みはじめ
最後に 2020年は、平和の祭典として東京オリンピック・パラリンピックが開催された年になるはずだった。オリンピックが平和の祭典と言われたのは、古代オリンピックでは、開催地から居住地間における選手や観客の安全を願い、開催期間の戦争を休止していたことに由来する。その故事を受け継ぎ、1992年より国際オリンピック委員会が「オリンピック休戦」を提唱。選手やスポーツの価値を守るため、1994年のリレハンメル大会より導入された。 私たちが住む星では、地殻変動による地震や火山の噴火など
無駄はない ランニングの世界に関わらせて頂いたのは、34歳から始めたランニングを通じて自分なりの世界観を形成しつつあった2006年。ホノルルマラソンで偶然お会いした山西先生から本誌への投稿を薦めて頂いたことがきっかけだった。前述したように病気を境に走ることができなくなったことで、仕事をはじめ本誌との関わりや私が創設した湘南ホノルルマラソン倶楽部の代表からも退くことも含め、今後の人生とどう向き合って生きていくのか入院期間中にいろいろ考えた。 「失われたものを数えるな。残って
「コロナ禍を生きていく」 コロナ禍においては、“with コロナ”という言葉のように、環境の変化に上手く対応することが推奨されている。この言葉を聞いた時に私は「この世に生き残る生物は、激しい変化にいち早く対応できたもの」というダーウィンの言葉を思い出した。しかし、「進化のからくり」の著者の千葉聡氏(東北大学教授)は、これはダーウィンが残した言葉ではないと断言している。千葉氏によると、最新のゲノム科学や理論研究でわかってきたのは、常に変化する環境に適応し易い生物の性質とは、非
禍から幸福を見出す 今回の新型コロナ禍は、数年前の私自身の緊急事態を彷彿させた。2016年12月28日夜、東京神田にある居酒屋「太助」で、例年通りに山西哲郎先生を囲んで執り行われる忘年会に出席したものの、体調が優れない私は早々に退席させて頂いた。翌朝、太腿の後ろにこれまでに経験したことのない激痛が走った。尋常ではない。何か得体の知れない異変が身体のどこかで起こりつつことを直感し、恐怖心に包まれた。恐怖心は得体の知れないものだから起こる。 その後の私の激痛は発熱を伴いながら
今こそ、ランナー的生活を 新型コロナウィルスという得体の知れないものに対して、感染防止のために私たちは社会的活動を自粛した。緊急事態宣言下、人々は走らなかったかというとそうではなく、むしろ走る人が増えたのかもしれない。感染防止策のために一人で走っている人、社会的活動が制限される中自らの健康維持の為に走り始めた人、リモートや少人数で繋がりを求めて走っている人など、コロナ禍でも人々は様々なスタイルで走っている。 ランニングの世界のバックナンバーを見ると、あたかもコロナ禍を予測
恐れからの克服 新型コロナウィルスは、当初得体の知れないウィルスだったため、私も含め人々は恐怖に慄いた。しかし、病気を発症する原因が新型ウィルスであることは、現代は既に可視化できている。1918年から1920年にかけて大流行し、世界人口(当時18億人)の半数から3分の1が感染し、全世界で5000万人以上の死者を出したスペイン風邪(H1N1新型インフルエンザウイルス)は、1939年になって電子顕微鏡でウィルスが可視化される以前の出来事だったのだから、当時の人々にとっては、まさ
はじめに 得体の知れないウィルスの突然の襲来を受け、一時的に立ち止まったランナーは、やがてマスクやバフなど感染防止策を講じて、再び走るようになり、緊急事態宣言により社会活動が制限される中、それまで走る習慣がなかった人まで走るようになるという社会現象が生じた。そして、新型コロナの感染拡大に伴い、新しい生活様式、withコロナという言葉が生まれ、コロナと闘うのではなく、知恵を絞って如何に上手く同居して行くかという適応性が求められてもいる。大規模なマラソン大会は中止に追いやられ、
2016年8月14日、リオデジャネイロオリンピック男子400mで、17年間にわたり君臨し続けていた世界記録(43″18)と20年間破られなかったオリンピック記録(43″49)が、ウェイド・バンニーキルク (南アフリカ)によって43″03に書き変えられた瞬間をTVで見ていた。 私は、42秒台に迫るその驚異的な世界新記録にも感動したのだが、それまでの記録保持者だったマイケル・ジョンソン(USA)氏へのインタビューで、氏が発した言葉が強く印象に残った。インタビューアーから自
2015年には、国連総会で持続可能な17項目の開発目標(Sustainable Development Goals: SDGs)が採択された。それらは環境、貧困、平等、福祉、教育、エネルギー、平和、経済等の分野に及び、地球規模で持続可能性のための目標が設定されている。 ランニング大会は、工夫を施すことでSDGsに貢献できる。例えば、四万十川ウルトラマラソンの開会の挨拶文には「四万十川の自然と清流を守ろうをキャッチフレーズに、四万十川流域の四万十市と四万十町が協力し、大会