コロナ禍2020〜2021随想④
禍から幸福を見出す
今回の新型コロナ禍は、数年前の私自身の緊急事態を彷彿させた。2016年12月28日夜、東京神田にある居酒屋「太助」で、例年通りに山西哲郎先生を囲んで執り行われる忘年会に出席したものの、体調が優れない私は早々に退席させて頂いた。翌朝、太腿の後ろにこれまでに経験したことのない激痛が走った。尋常ではない。何か得体の知れない異変が身体のどこかで起こりつつことを直感し、恐怖心に包まれた。恐怖心は得体の知れないものだから起こる。
その後の私の激痛は発熱を伴いながら急激に増幅し、そして頻繁に襲い始めた。年末年始にわたり何度も救急車で搬送された挙句、原因がわからないまま緊急入院となった。耐えられないほどの激痛と高熱が続き、容態は日々悪化していった。それは私の人生に於いて、紛れもない緊急事態だった。入院10日目にして、やっと診断がついた。全身に広がったびまん性大細胞型B細胞リンパ腫が皮膚から見つかり、両下肢の激痛は、その悪性リンパ腫が脊髄を蝕んでいるのが原因だった。異変の正体が判明した時には、既にステージⅣ期だったので、早急に特定の化学療法を開始しなくてはならない。しかしながら腎臓と肝臓に機能低下が認められたため、治療を開始できない日が続いた。最悪の事態も起こり得ると医療関係者でもある実兄から涙ながらに伝えられ、頭の中は真っ白になった。その後の治療のおかげで、幸いにして肝臓の機能が回復傾向を示したのを機に、主治医の判断で化学療法が開始された。翌月になり、私は56年連れ添った両脚の機能と引き換えに、三途の川から生還させて頂いた。悪性リンパ腫は、それまでの私の日常を一変させた。後遺症は私からランニングを奪い去ったものの、還暦を前にして貴重な経験を与えてもらったのだと思っている。私は入院体験を通じて、今の緊急事態に酷似した状況をシミュレーションしていたような気がしてならない。禍に襲われても、考え方や捉え方次第で人は幸福を見出せるものなのだ。走れなくなった今でも、ランニングの世界は私に希望を与えてくれているのである。