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回顧録①

今朝は、久しぶりに文章を書く気分になった。
コロナ禍を体験したこの3年間。
私は世の中が変化して行くことを客観的に眺めて来たように思う。
ウィルスに感染すると重症化し、死に至るという恐怖に人々は慄き、社会活動は停止を余儀なくされた。
それでも地球規模で考えれば、停止しているのは人類だけで、他の生物の日常には大して影響はなく、むしろ人類の活動停止により、地球環境が好転したという報道も聴かれたほどだ。人類が与えている地球環境へのインパクトを意識させられるこの報道は、人類の活動が地球を破滅へと向かわせていることを裏付ける証拠でもある。そういう意味では、「私たちの日常」とは、「地球にとっての非日常」と言えるのかもしれない。
今年89歳になる両親と過ごしてきた日々を振り返ってみると、私が小学生時に住んでいた家は、昭和24年に祖父が建てた家だったので、風呂は薪で沸かしていたし、台所は土間と同じ高さにあり竈門で飯を炊いていた。竈門も風呂も焚き付けには、良く乾燥した薪木が必要なので、冬になると両親に連れられ山へ焚き木を集めに行ったものだ。焚き木集めには、ナタを一本持って行く程度だった。現場へ到着して両親が最初に始めるのは、立木に絡まっているカヅラを集める作業だった。集めたカヅラを手際良く2〜3mほどに切り揃えていく。そして、それを一本下に置き、集めた焚き木を置いて行く。焚き木が程よく集まったところで、カヅラで巻きながら束ねていった。当時は、米を収穫した後の藁を結って、縄も作っていた。身近にあるものを、実に巧妙に活かしていた時代だった。
焚き木は、薪に火を焚き付けるために必要なのだが、本格的な火力は薪である。薪は父が山からマツや雑木を切り倒し、耕運機の後ろに繋ぐリヤカーで運べる寸法に切り揃え、自宅へ運んだ。続いて祖父が竈門に入る長さに切った後、適当な太さになるように斧で割っていた。私は見よう見まねで斧の使い方を覚えていったし、冬の薪割り作業では、木の中からカミキリムシの幼虫が出てくることもあり、虫好きの私には興味津々でもあった。私は祖父の背中側からそうやって鎌や斧の使い方を覚えていったのである。

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