コロナ禍2020〜2021随想③
今こそ、ランナー的生活を
新型コロナウィルスという得体の知れないものに対して、感染防止のために私たちは社会的活動を自粛した。緊急事態宣言下、人々は走らなかったかというとそうではなく、むしろ走る人が増えたのかもしれない。感染防止策のために一人で走っている人、社会的活動が制限される中自らの健康維持の為に走り始めた人、リモートや少人数で繋がりを求めて走っている人など、コロナ禍でも人々は様々なスタイルで走っている。
ランニングの世界のバックナンバーを見ると、あたかもコロナ禍を予測してメッセージを残して来ているようにも思える。ランニングの世界12号「大震災を超えて走る」の巻頭言には『津波で海岸を失い荒廃する広がりの中を走っている一人の中年ランナーに出会い、その姿は黒ずんだ無の大地に染まるように色を失って見えたが、動きは力強く、瞳は希望で光っているように思えた。そして、私はその光景から、再び自らの走りから新たな希望を見出し、生活を再生していこうとしている精神を感じることができたのである。』。14号の「センス・オブ・ランニング」の巻頭言では「感性的ランニングとは、単に1時間走ったとか、キロ5分のペースで走ったといった数字に振り回されて科学的・合理的に走るのではなく、むしろ五感を働かせ感じることによって、速い・遅い、長い・短い、暑い・寒い、快適・不快、美しい、楽しいなど感覚を体のあらゆる部分に問いかけながら、情感豊かに走ることである。」と。
つまり、走るという行為は、人間が自らが創り出す希望の行動なのである。
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