経営に活かしたい先人の知恵…その14
◆指導者に求められるのは「才」か「徳」か◆
中国・北宋の歴史家、司馬光は自著『資治通鑑』で「才」と「徳」について、興味深い指摘をしている。
「才と徳とは違っているのであるが、世人はこれを区別することができず、皆これを賢という言葉で表現しているが、この才こそ、その人物が人の支持を失う原因なのである。もともと知恵優れ意志強固の人を才能の士といい、正しく素直で中庸の道の和やかな人物を徳ある者というのである」
司馬光は、こう指摘したうえで、人物を次の四つのタイプに分類している。
① 才・徳いずれも伸びている者=聖人
② 徳が才より勝っている者=君子
③ 才が徳より勝っている者=小人
④ 才・徳ともに失われている者=愚人
理想は、いうまでもなく聖人だが、このタイプはそうそう見出すことはできない。中国古典に出てくる「君子」とは、人の上に立つ人といった意味合いがあるので、才はなくても徳のある人物は、十分組織のトップは務められると考えていい。
江戸後期の儒学者、佐藤一斎も次のように書いている。「人は才能があっても度量がなければ、人を包容することはできない。反対に度量があっても才能がなければ、事を成就することはできない。才能と度量とふたつを兼ね備えることができないとしたら、才能を棄てて度量のある人物になれ」。
度量とは、徳と考えればいい。一斎のこの考えのベースにあるのも司馬光の指摘だろう。
では、聖人・君子が見出せない場合、行動を共にするには、小人と愚人のいずれがいいのだろうか。
司馬光は、「小人を得るよりは愚人を得た方がよい」と言う。なぜなら、小人は悪事を働くだけの知恵を持っているため問題を起こしがちになるが、愚人の場合には悪事を行なうだけの知恵がないので、安心してつき合えるからだ。
「小人」の扱いについては、中国古典に精通していた西郷隆盛の考えが参考になる。「人材を登用する時、君子と小人との区別をあまり厳しくするのはかえって害を起こすものである。というのは、歴史始まって以来、世間の人の10人のうち7〜8人までは小人なのである。小人でも、よく性質を呑みこんで長所を取り、あまり重くない職につけて能力を発揮させることだ。藤田東湖先生(水戸藩士)も『小人であればあるほど能力はあり、便利なものなのだから用いなければならない。とはいっても、小人を長官にして重い職を任せておいたのでは、必ず国家の危機になるから、決して上位においてはならない』と申されていた、ということである」(『西郷南洲翁遺訓』)。
組織のトップに立つ者は、徳と才の違いを明確に理解した上で、まず、自分の徳を伸ばすことに努力しないといけないし、人を用いる時には、徳と才を基準に人材を見極めて登用しないと組織は乱れる。この司馬光の指摘は、今の経営にも通じるところが大いにあると言える。
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