自分と他人の幸不幸を区別しよう ~②幸せそうに見える人もそれぞれの立場での苦労がある~
前回記事では、他人の幸せを許せない、あるいは他人の不幸でほくそ笑んでしまう、こういった状態が続くとどうなるか書きました。
今日は、こういった考え方をやめるための心構えについて書きます。
まず、結論から先に言うと、
他人が幸せになってもあなたは不幸にはなりませんし、
他人がいくら落ちぶれて不幸に見えようとあなたの価値は1ミリも上がりませんし、
自分が不幸な目に遭ったからといって周りの人も不幸にならないと不公平だと感じるのは不幸の連鎖の始まりです。
他人の幸せを喜べないとすれば、それは羨ましいとか、自分より"不当に"良い思いをしている(ズルしてるという妄想の場合もあります)、といった考えに起因することがほとんどだと思われます。
しかし、幸せは、自分の中にあるものです。
幸せを他者比較の中に見出そうとする限り、絶対に幸せになれる日は訪れません。
他者からの評価軸というと、例えば年収なら比較がしやすいと思います。
年収は高ければ高いほど良いと思われがちですが、年収いくら以上に到達すると自動的に幸せになるなんていうことは絶対にありません。
例えば年収1,000万を掴むために、働きすぎて健康を損なっているかもしれませんし、金目当ての恋人ばかり寄って来て真実の愛を一生見つけられないかもしれませんし、スティーブ・ジョブズやカルロス・ゴーンから見れば年収1,000万なんかゴミです。
上を見ればキリがないので、年収を比較することの延長には幸せはないと言えます。
また、ジョブズやゴーンは、それこそ一般人の想像を遥かに超えた大変な責任とプレッシャーを背負っているはずです。
どんなに幸せそうに見える人でも、その人その人の立場でそれぞれの辛さがあるのです。
この考え方は、非常に有効です。
ノラ猫だって、気ままそうに見えて、野生のドブネズミを自分で捕まえて食べなければ生きていけないのが毎日死ぬまで続くなど、人間が想像もできないノラ猫なりの大変さがあるハズです。
幸せそうだなー、羨ましいなーという思考に囚われていることに気付いたら、彼らの立場にも彼らなりの大変さがあるんだろうなーと想像することで、羨ましさは低減できます。
もし、"彼らなりの大変さ"を思いつくだけの想像力がなかったら、こう考えて下さい。
「羨ましく見えるけど、彼らは彼らで、俺らみたいなひがみ屋が次から次へと湧いてきて、寄ってたかってマイナスの感情を向けてくるんだろうなー」
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