
第15.5話「ネキと過労死ライン」
こんにちは。ネキです。
あらゆる学校行事を消化しつつ、なんやかんや勤務を続けています。
今回は、教員がブラックといわれる所以である、過労死ライン(残業80時間超過)のリアルについてお話していきます。
((私は1年目の小学校教員なので、校務分掌と言われる事務や雑務がほとんど当たっていません。すなわち、自分のクラスの業務に集中できるようにしていただいています。そこだけご承知おきください。))
私は、着任した4月から残業80時間を超えなかった日はありません。しかし勤怠システム上、80時間を超過してしまうと教育委員会からの処分が下るため、勤怠入力のタイミングを調整しています。
そういった行為に走ってしまう教員は、同じ職場だけでも私だけではありません。そのうえ、自宅に持ち帰って業務を補完しています。
まず、これが紛うことなき残業に関する事実・現状です。
ちなみに教員には、子どもの下校後に名ばかりの休憩時間があります。しかし、この時間に休憩している教員はいません。子どもが校内にいる間(8:00-16:00)は、ずっと動いています。
以下、ネキの話です。
朝は5:00に起きて、頭が起きないうちに職場へ向かう。夜は帰宅して60分以内に入眠体制に入る。毎日この繰り返し。平日のプライベートは、それこそ通勤途中のSNSサーフィンに費やす。
こうなると、いつでも、どこにいても、頭の中を占めるのは仕事や子どものこと。そんな私はさすがに夜に眠れなくなってしまい、6月あたりから夜間の中途覚醒を抑えられるような薬を飲み始めました。
元々ワーカホリック的な一面を持つ私からすると、業務や勤務時間の長さへの不満は正直ほとんどありません。なにせ覚悟していましたしね。
ただ、いくらワーカホリック気質だからといえども、睡眠の質や時間、プライベートが確保しきれないことで身体と心が悲鳴をあげました。
まず、通勤前、通勤途中に涙が止まらない。調子の悪い時は学校に到着しても涙が止まらないので、他の教員が立ち寄らないような別室で作業をしていました。
涙が出る理由は日によって違いますが、不安のようなものが大半を占めています。
子どもに還元したいけどその実力がまだなく、この先その実力は身につくのかという不安、保護者からのとんでもないクレームがくるかもしれないという不安、ワーキングプアのような今の生活を続け一生を終えていく可能性があるという不安、でも仕事を辞めると奨学金が払えないなど待っているのは生活苦だという不安、この悩みを共有できる人が周りにいないということ。不安はつきませんでした。
それでも朝は1番に学校に行き、夜は最後まで作業をしていました。そこを止めてはいけないと無意識に決めていたんだと思います。
なんだかんだ服薬を始めてから4か月経ちました。正直、今も働き方は変わっていませんし、なんなら出勤時間は30分ほど早くなりました。
主治医の見立てによると、ネキは今、躁状態にあるみたいです。確かに、どれだけ働いても気分的に落ちすぎる頻度が減ったというより殆どなくなりました。研究授業などを終え、成長を感じる場面が増えてきたからでしょうか、「今の私は新品のスポンジだからいくらでも働けちゃう!」なんて超ポジティブな日も多いです。
ただ、頭は働かなくなってしまった気がします。良くない現状への打開策すら思考するのをやめてしまっています。また、躁状態を迎えると鬱のような状態を必ず再び迎えるそうです。今はその日を刻一刻と待っています。
まさか、こうなるなんて私自身もびっくりでした。なので、家族をはじめ周りの人には通院や服薬について未だに話せていません。(夏前に欠勤することが続いたため、管理職にはやむを得ず報告しています。)
この文章も、いつになくハイなネキが書いているということです。
話は変わりますが、私は、日本の現行の就業規則や残業制度に賛同はできません。残業はしたい人がしたいだけすれば良いし、1日の就業時間が8時間というのも人によっては短い場合があるなあとも思います。就業時間や残業時間における個人の自由度がもっと高い方が、仕事への時間的な不満を嘆く人も減るのではないでしょうか。
過労死ライン、ブラックという物騒な言葉も、淘汰されるのではないでしょうか。
ただ、身体と、多忙や忙殺との相性は良くない気がします。教員の定年退職後にすぐ亡くなるというジンクスも、それを裏付けていそうです。
自分を豊かにしていく何かが日々のほとんどで得られないことへの反動は、長い年月を経て現れてくるんです。それがどんな形であろうと、きっと。
冒頭にも述べましたが、ネキは基本的には今の働き方にほとんど不満はありません。
しかし、身体はもちません。成し遂げたいことや挑戦したいことがあったとしても、それを実行するエネルギーやパワーがすでに枯渇しています。
ただ、この仕事を辞めるという判断が自分を守ることになるかどうかの見極めがまだできません。
給与ややりがいなど、ここに書ききれないメリットも、ないことはないから。
私の今の気持ちや考えが矛盾を孕んでいることは承知です。ただ、人生の舵を切るような決断が今のネキにはできません。自信がありません。
私はどこからきて、どこに向かっているのでしょうか。
ただ一つ言えることは、私はこのnoteに現役教員としての記録・生き様を呟き、訴え続けなければいけないということです。それがネキの使命かもしれないです。
教員や学校教育のネガティブキャンペーンになりすぎないようじゅうぶん配慮する必要はありますが、リアルに起こっており、困っていることは訴え続けないと変わらない。
教育という営みはとても尊く、大事にされるべきものです。だからこそ、そこに携わる人が少しでも元気でいてほしい。ゆとりをもっていてほしいです。そのような人が増えてほしいので、呟き続けます。
今回の記事はいつもと異なるタイプの内容でした。私の感情面が大きく出てしまい、読んでいる方によっては不快な表現もあったかもしれません。
しかし、お伝えするならどうしてもこのタイミングが良いなと思い、書き残しました。
今後の記事は普段通りに戻ります。
学校教育についてもっと多面的に掘り下げていけたらと思います。
思考は止めたくないので、多忙にかまけず日々研鑽していきますね。
では、また^^