ミソフォニアとして生きる、地獄
ミソフォニアという言葉を知ったのはほんの数年前だけど、ミソフォニアの症状が表れたのははるか昔、幼少期の頃で。
当時は思春期とか反抗期のようなものだと思っていたけど、今振り返れば、あれはミソフォニアだったんだな。
とにかく家の中で過ごしていると常にイライラしていた。イライラの原因は全て、同居する家族が発する「音」だった。
食事中の、咀嚼音。ゴクゴクと飲み込む音。
他にも、咳や鼻息。
家族が出す音に過剰に「反応」していた。
普通、「反応」というと、「音がするな」とか、せいぜい「あぁ大き目の音を出すんだな」と認識する程度だと思うけど、ミソフォニアはそれじゃすまない。
イライラを一気に通り越し、ほんの数秒で「怒り」まで到達してしまう。
当時はミソフォニアというものを知らなかったから、家族に対して、こんなに些細な音で、こんなに強い”負の感情”を抱いてしまう自分は異常だと思っていた。
母親が作ってくれる料理の味も分からず、食事中は苦痛で仕方なかった。
神経質すぎる自分のことが、嫌で嫌でたまらなかった。
大学進学を機に一人暮らしを始めてからは、すっかりそんなことは忘れていた。今思えば、大学生活という人生のモラトリアムの中で、それほどストレスを抱えずに生きていたから、心にも余裕があったのか。
トリガーを引かれたのは、就職してしばらく経ってから。
職場に、やたらと大きな音で鼻水をすする人が数人いた。その音が「気になる」から「怒り」に変わるまでは、ほんの一瞬だった。
デスクはフリーアドレスではなく固定だったから、逃げ場がない。音の発生源であるその社員はいい人でも、音を出している瞬間、大嫌いになってしまう。消えてほしいとさえ思ってしまう。
職場だけでなく、一人暮らしの家の中でも苦しんだ。
自宅マンションの隣には、アジア系と思われる外国人男性が住んでいた。彼は、昼夜問わず大声で誰かと通話していた。彼女らしき人を招いて部屋で誕生日パーティーを開いたこともあった。なぜ誕生日だったと分かるかと言うと、「ハッピーバースデートゥーユー」が聞こえたから。何がハッピーだ。幸せそうに、能天気に歌う彼らを心の底から恨んだ。
結局その隣人とはトラブルになり、警察沙汰になり、逃げるようにマンションを出た。人生で味わった恐怖の中で1・2位を争うくらいの出来事だった。「殺されるかもしれない」とまで思った当時のことを振り返って詳細に記事にしようと途中まで書いていたけど、心拍数が上がってきて、怖くなってきたから、やめた。
とにかく、その隣人には全身全霊で呪いをかけ、一旦、蓋をしておく。
その後も、音に苦しめられる生活は、引っ越しても転職しても終わらなかった。
職場には、自分の席の近くに、キーボードを叩く音がとにかく大きい社員がいた。陥没するんじゃないかと思うくらい力強く叩く。
「エンターキーをターンッ!って叩く人いるよね~」と笑い話にできるレベルではなく、「うるさいな」とイライラするレベルも通り越す。キーボードの耐久性を恨む。
その人は他にも咀嚼音がひどく、直接関わったことのないその社員のことが本当に嫌いだった。音への嫌悪は、そのまま、人への嫌悪に変わっていく。
その人が出社している日は朝から憂鬱で、毎日毎日、今日一日をどうやり過ごせばいいのか、悩み、絶望した。
イヤホンなんかでは遮断できない。両手で耳をふさいでも、音は頭の中に届き、暴れだし、思考を止め、「怒り」で満たす。
堪え切れず、トイレに逃げ込んだ。
個室に入り、力の限り壁を殴る。手の痛みは感じない。ただただ、芽生えてしまった殺意を鎮めるのに必死だった。涙があふれた。
ミソフォニアのこの突発的な怒りは、数分で落ち着く。すると、麻酔が切れたように手がジンジンと痛み出す。それ以上に、心が痛い。
一体、いつまでこの狂気と戦わなければならないのか。こいつが自分の中に存在する限り、この先一生、安泰な生活は手に入らないのだろうかと、自分の人生を憂う。
怒りは消え、絶望だけが残る。
職場
電車やバスの中
飲食店
図書館
集合住宅
多数の人が集まる場所は、「ガチャ」だと思っている。鼻水をすする人や咀嚼音の大きな人がいれば、ガチャで外れたと思っている。そして、この世は、私にとって「外れ」が多すぎる。初めから、「外れ」しか入っていないゲームに巻き込まれたよう。
早く、そのゲームから脱出したい。それか、そのゲームを終わらせたい。