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衝撃のウ○コ事件

飲食関係の仕事をしているので、月に一度、職場で検便があります。

先日の朝も検査キットを手元に置いて、スマホを見ていました。

便意が来たのでトイレに行こうとキットの袋を開けたら

あれ?
採便容器がない。
どこに行ったんだろう?

袋の口が開いているから落としたに違いないと思ってあちこち探すも、見つかりません。

しまっていた抽斗の中にもない!
通勤バッグの中にもない!!
自分が座っている周りにもない!!!
ということは職場で落とした!?
なんてこった(汗。

事情を話して再度キットを貰い、次の日提出するしかない。

でも朝早いから、お通じがあるかどうか….。

「出ませんでした」って謝るの、めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど。

便意が最大化するまでオロオロして、仕方なく採便せずに用を足し部屋に戻ると、白いテーブルの上に同化するように、白い容器が転がっているじゃありませんか。



マジかーーーーーっ!!!!!

私の大切な(?)ウ◯コは
たったいま
下水に流してしまった。

もう拾いたくても
拾えない。



しばし呆然。

どうした自分。



「容器がない!」と思い込んでパニクっていた数分間の己のマヌケさと、そのドラマの濃さといったら….。

前日も仕事で一番大事な作業をすっぽかし「おいおい大丈夫か自分?」と思っていたところでした。

よくよく振り返ると、ミスするときはたいてい直前に、他人の至らなさを心のなかでジャッジしているんです。

その至らなさはあなた自身ですよ

というお知らせとしか思えない。

自身の劣等な面を認め、それを受け入れていき、育み、それ自身の価値を認めることは決してたやすいことではない。

自身の劣等な面はたとえ愛する人にですら見せるのは恥ずかしいし、むしろ、自分を賢く、能力があって、常に正しいと取り繕うことのほうが居心地がいいだろう。

秘密と向き合うこと、自身の内の両性的な部分を見ること、それを解放し、救済する長い仕事を始めることはすべて勇気のいることだ。

我々は、パートナーにその役を演じさせ、何かの失敗が起こった時には誰か外の責任にしておくほうを好むものなのだ。

リズ・グリーン『占星学』青土社



本質の自分に還るとは、自己の全体性を回復することですから、それまで抑圧してきた闇の部分を受け入れていく必要があります。

それこそ昔はぜったい粗相をしないように、仕事だけでなくプライベートでもかなり気を張って、神経を擦り減らしていました。

今の方がおっちょこちょいですし、ギョッとするような、斬新なヘマをかまします。

間違えてはいけない。
迷惑を掛けてはいけない。
自分で何とかしなくてはいけない。

そういう恐れが小さくなり、従来のように完璧ではいられなくなった分「お互いさま」と思える出来事が増えました。

分からなければ質問する。
できなければ助けを頼む。
間違えたら謝る。
フォローしてもらったらお礼を言う。

ごく当たり前のことですが、これができるようになるにつれ、職場に馴染めるようになり、仕事が楽しく感じられるようになりました。

原理主義の鎧を着ていたときは、内と外の循環がまったく起きていなかったのですね。

そしてまた明日も、未知なるヘマをやらかしながら、本質に出会う修行の旅路は続くのです….。



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