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おじさんの一人旅 節約旅行のメモ帳 15  Paris

※朝8時頃 メトロ駅前 カラスが沢山いた、ゴミが散らかってどこも同じ。    
パリ旅行の清算 最終章 2-2
 
 私は40数年前、パリ、ミラノ、フランクフルトの3都市に仕事で年1回行くことがあり、4,5年続いたと思う。
 この出張以来ヨーロッパには行っていない、仕事は婦人服関係でした。

 私の感覚だが、この3都市の環境に丸々3日間いるだけで、生地の色合いを見る目が変わってしまって、日本に帰ってから発注した生地をみると、どうしてこんな色目を選んでしまったのか、疑問に思うことが度々あった。
 
 つまりはそれは失敗だったということで、その処理に大変苦労をしました、今だから言えることですけど。

 三つの都市それぞれの街並みが、昔から石で出来た建物がたくさん並んでいます。色はベージュ、グレー(日本で言う鼠色=ネズイロ)がベースになり、これらの淡い色に目が慣れてしまって、生地の色の判断に狂いが生じると私は思うようにしていました。全く言い訳ですけど。

 この商談の生地契約時は日本の輸入代理店の担当者が1名(いつも同じ人)が付いて商談のアドバイスをしてくれ、契約をまとめていました。 

 そんな日の食事はこの方の接待で、いつもいいものをご馳走になっていて楽しみの一つでもあった。
 覚えているのが熱いプレートに厚いステーキ、そこにジャムみたいなものが付いていて、そのジャムを肉に付けて食べるとても美味しかったのを覚えている。
 生地の見本市で幾つかのブースで商談をしたのですが、そのうちの幾つかでご馳走になった、パンよりソーセージの方が大きいホットドッグビールがとてもマッチしていてとても美味しく頂いた。これも楽しみの一つで本当に逸品ものでした。

 当時はフランクフルト(ドイツ)、ミラノ(イタリヤ)の皆さんには優しくし接してくれた思いがあるが、パリの人々は今とは違い全般的に冷たかったと私は感じていた。
 特に英語にはあまり反応がよろしくなかった。

 でも今回はとてもとても優しくし接して頂いたと感じています。仏語、英語、日本語全てに反応が良かったので、私は会話の最後にはいつも日本語で「ありがとう!」と言っていました。

 お辞儀をしてくれたタクシー運転手さん、「ありがとう。」
 
 特に当時はパリのホテルで、係の人たちが私たちへの対応に違和感を覚えることが多く感じられた。

 今回とは雲泥の差である。しかし当時、私たちのやっていた行動は全く感心することではなかった事が多くありました。反省です。

 帰国するときは、いつも上司と一緒で(席は別々です)、成田空港からタクシーで会社まで同行出来るのでとても楽くだったが、毎回出張は非常に疲れる仕事の一つだった。 

 出張していた頃から、私が絵画に興味があったわけではなく、ただ学生時代の友人が芸大の絵画科に入学するほどの腕前の人だったので、絵に接することが多くあって、絵は身近なものだった。
 中学生の時、友人の絵を描いて何かしらの賞状を貰った覚えがあります。自慢です。
 
 2~3年前からPinterestを始めて、好きな画家ごとに絵画をPinterestのボード上に集めるようになった。分野だけでも100種類以上あり、画家の人数は数えきれないほどの人数になっている。

「ペトゥイユの雪景色」(雪の中のペトゥイユ教会)1878~79作
クロード・モネの絵画
私は全般的に雪景色を描いたものが大好き。
CLAUDE MONET (1840~1926)  La Pie (detail) 1868-1869/Huile sur toile.H89; L130cm
クロード・モネ(1840~1926)カササギ(1部分)1868-69/油彩、キャンバス、縦89、横130cm
私が1番大好きな絵画の一つです。今回の旅行でオルセー美術館で購入した絵葉書の1枚です。


 自分だけの美術館を造るようなものだった。
 そのうちに都内、近県の美術館に足を運ぶようになってからは、非常に物足りなさを感じるようになり、結果「ルーブル美術館に行こう!」という結果になった。

ルーブル美術館「アポロンのギャラリー」黄金に光り輝く宮殿でした。

  今回のパリ旅行は素晴らしい経験になり、次の行動のきっかけになって十分満足しました。 

 
  今考えると、あの不安と緊張の気持ちがとても刺激的で、その感覚がたまらなく好きになりました。 

  それが、また行きたくなる理由になっています。  
   またパリに行く実際の計画が始まったら、メモを取りながらまた報告をしたいと思っています。    
   最終的に掛かった費用が出たので報告します。  
   5泊7日間のパリ滞在旅行で47.3万円(旅費38万、食費1.8万円、交通費1.3万円、美術館費1.9万円、旅行準備費2.5万円、その他1.8万円)でした。

  パリでの出費は全てDebitカードで支払っていて、すべての明細があるので正確な数字です。  
   見ていただいたように、本当に節約して過ごしてはいたが、食事とお酒とペリエはとても美味しくいただきました。  
   特にサンドイッチにお酒、お昼寝、からの美術館へ、最高の贅沢をしたと思っています。  
   ただし今回のホテルだけはチョットだけ残念な結果でした。  
   現金を使わなくて済んだのはとてもいいことで、煩わしさが無くなってとても良かった。

  両替して持って行った€ 現金(約2万円)は全く使わず持って帰ってきて、両替
(銀行にユーロの普通預金に11万円預金してあった。ここからすぐ引き落とされるので、カード手数料は必要としなかった。万が一11万円以上使っても円普通預金から自動的に補填されるようになっていた。これは便利だった。)
   
したら、千円くらいの為替差益が出た。
めでたし!めでたし!

 昔から疑問だったのは「なぜ?多くの芸術家がパリに集まり、またパリの中でも同じようなところに集まり制作活動をしていたか?」と言うことでした。

 パリに行っただけで分かることではないが、その端っこの欠片だけでも、わかるきっかけが掴めるといいなと考えていた。
 
 宿泊したホテルはモンマルトル美術館まで歩いて20分くらいのところにあり、モンマルトル地区になります。  

 ホテルの近くには私が見ただけでも数件の映画館があり、キャバレー劇場のムーラン・ルージュと喜劇の劇場のテアトル・ル・ブティ・パルディジアンのほか幾つかあった。 
 そして風俗グッズの店がピガール駅と隣のブランシュ駅の間の大通りに沢山あり、それにはビックリしました。  

 モンマルトル地区は19世紀半ばまでパリ市の外にあって、酒場などはパリ市税金を払わなくて済んで酒を安く出すことが出来た。そのために賑わっていたという。
 19世紀後半になるとこの地区に多くの芸術家(絵画だけではなく)が集まるようになり,制作活動や交流が活発になっていった地域のひとつです。

 「踊りの稽古場にて」
エドガー・ドガの絵画
ガルニエが設計した今のオペラ座ではなく、その近くにあった古いオペラ座で描いたようです。
この作品はアーティゾン美術館に展示されているものです。


 そのムーラン・ルージュ劇場は偶然にも私が好きな画家の、ロートレックエドガー・ドガがよく題材として使った場所で、二人とも多くの絵画がここから生まれています。
 ルノアールもこの界隈に暮らし活動していました。

 「洗濯船」という、後に有名なる画家達が住でいたアパートがあり、その建物もモンマルトルの丘の麓にあったそうだ。他にもあと2か所「洗濯船」はありました。

 この地区は小さな美術館もたくさんあり、沢山の画家たちが製作活動や交流を重ねたところだったようです。

資料がなくハッキリしませんが、多分「ロートレックの絵画」だと思います。
モンマルトル美術館の絵画


 

Toulouse Loutrec,L'Affiche pour "La Revue blanche",1895
トゥールーズ・ロートレック、”ラ・レビュー・ブランシュ”、1895
Lithograph,The Firos Collectin
リトグラフ、フィロス コレクション
メトロ・ブランシュ駅前にある「ムーラン・ルージュ」の広告
私が持っているロートレックの絵葉書の1枚です。

 その他にも何のところか確認はしなかったが、日中若い人たちが建物の前で並んでいたのを2か所ぐらい見ていた。誰かのコンサートかもしれない。

「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」こちらはルノアールの絵画ですが、
モンマルトルの丘にあり、有名な風車のあるキャバレーです。

 私の年齢は前期高齢者(74歳まで)です、本人の自覚は全くなく今回のように突然行動してしまいます。
 しかし下準備は完璧にしていきました。
 私と同じ年代の人に言えることは、本当に言葉では言い表せられない、感動があり、楽しい事が沢山ありました。
 グーグルの、翻訳アプリ、マップアプリ、レンズアプリの3つと度胸と愛嬌があればどこにでも行くことが出来ます。この3つはまさしく相棒のようでした。

何だかよくわからないが、色々お話をすることが出来たことで、少し責任を果たしたような気分です。

 長い文章、最後まで読んで頂き、誠に感謝しております。

 ありがとうございました。


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しゅうぼう
パリに向け日々精進してまいります。