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ワタクシ的な考古学の話

学問って敷居が高いイメージありますからね。
ぶっちゃけ考古学って・・・って人がほとんどだと思います。
そんな中、早稲田大学名誉教授の吉村作治先生は貴重な存在です。世界ふしぎ発見を観ていた方は、考古学って面白そう!って思ってくれるようになりましたから。

かく言う私、とある大学で史学の学士をとりまして(通信じゃなくて通学でとりました)、一般の方よりちょっとだけ考古学が好きなのです。
しかし、ずっと世界史をやってきたせいで日本史が全く疎か。「日本人」として会話をする時に、引き出しの少なさに不安と焦燥を覚えたのです。そして今度は大学に行かずに(さすがにもうしんどい)、個人的にモゾモゾと日本考古学の勉強を始めました。

勉強って言っても本読むだけなんですけどね。現地調査や発掘なんてのはできません。専ら「月刊 考古学ジャーナル」を購入していろんな大学の先生の論文を読むのと、息抜きに面白おかしく書いた考古学のトンデモ本ですね。

ぶっちゃけ2,000年前に生きてた人なんて居ないんですから。実際に見た、聞いたってのは一切無いんです。考古学なんて全部「頑張って証拠っぽいものを寄せ集めた確率の極めて高い思い込み」なんです。
文書が残ってる時代だって、文章を書いた人の主観が入っちゃってるんだから、その文書だけでは純粋な「歴史事実」とは言えません。この辺をわかってない方がいるので困ったモンです。具体的に言っちゃえば古事記日本書紀の事ですよ!

さて、ワタクシ的な考古学の話ですが、やはり「邪馬台国」と「土偶」ですよ!嗚呼もう楽しい!ちなみに邪馬台国は九州派です。近畿派の方ごめんなさい。殴り合いましょう(笑)
根拠は、まぁ個人の妄想で許してください。邪馬台国、つまり大和朝廷以前の日本については何十という小国家が乱立していたと思われるので、それらは沖縄、九州南部、九州北部、中国、四国、近畿に広く散らばって小競り合いと同盟を繰り返していたと考えています。主な構成員は南方人、海洋民族ですね。そういう人たちの集まりだったと思います。邪馬台国。
もう一つ忘れちゃいけない要素が朝鮮半島です。朝鮮半島南部にも、この海洋民族集団がいたと思われます。海沿いなんだから居るでしょ普通。んで、北九州と朝鮮半島南部の海洋民族集団同士の交流が盛んだったと。
やれ半島南部は昔日本だったとか、アホかと。今の基準で話すない。2,000年前じゃ。日本も朝鮮も無いわ。

やがて近畿を中心とした武力集団が力をつけて、中国、四国、九州、そして関東まで勢力を拡大して大和朝廷をつくります。こちらは朝鮮半島からやってきた大陸系の集団だと思われます。ただ、この集団は一系統ってわけではなくて、黄河流域からの遠征者とか中央アジアからの騎馬系とか複数の由来を持つ人たちが集まったと考えています。クルド人とかも来てるはずです。

続いては「土偶」。遮光器土偶とか有名ですね。みなさん土偶が変な形をしているのを見て、なんか違和感ありませんでした?
昔の人だから、正確に造形できなかったんでしょ(笑)っていう感想は縄文アーティストに失礼ですよ。『イノシシ 土偶』で画像検索してみてください。現代でも通用するレベルのパーフェクトKAWAII猪フォルムです。
土偶ではありませんが、『火焔型土器』なんかも凄いです。こちらも画像検索どうぞ。物として固定できない炎を、土を使ってここまで緻密に、情熱的に表現できるって凄くないですか?
それを踏まえて、も一回土偶見てみましょう。『縄文 ヴィーナス 土偶』とかいかがですか。長野県の棚畑遺跡から出土のもっちりヴィーナスと、山形県の西ノ前遺跡から出土のパリコレヴィーナスを見てもらいたいです。当時の土偶アーティストは、写実的な、芸術的な、情熱的な造形を行える技術があったにもかかわらず!!なぜ!!あのような!!形に!!なったのか!!嗚呼ぁぁぁおおおおあ!!なぜだ!!

ハァハァ取り乱しました。失礼。
竹倉史人さんの「土偶を読む」(晶文社)を読んでも、千葉県の余山遺跡出土のみみずく土偶しか(個人的に)解決しなかったので、これからの土偶研究の一挙手一投足に全集中です。皆さんもいかがですか考古学。楽しいですよ。

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