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私の気持ちを「言語化」してくれたMrs.GREEN APPLE
私は、普段音楽をあまり聞かない。
お店やCM、テレビで流れる音楽を聞いて、「これいい曲だよね〜」と家族に話をすると、音楽好きの夫から「これ4、5年前に流行った曲だよ、みんなとっくに知っているよ」と呆れ顔で返ってくる。
それくらい、特定の推しを作らず、ミーハーに流行りの曲を知っているという程度。
でも、休職する前には、逆によく聞くようになった。
授業中のやまない話し声、休み時間に響く大きな声。
世界のどこもかしこもうるさくて、何だか耳を塞ぎたくなったんだと思う。
「僕のこと」
僕と君とでは何が違う?
おんなじ人間さ 分かってる
でもね、僕は何かに怯えている
みんなもそうならいいな
バラバラで構成されている学年の先生方。
私は中堅またはベテランのところに位置する
新採用で頑張っている若手もいる中で、私がこうやって苦しいのはなんでなんだろうってずっと考えていた
ああ なんて素敵な日だ
幸せと思える今日も
夢破れて挫ける今日も
ああ 諦めず足掻いている
狭い広い世界で
奇跡を歌う
夢破れて挫ける今日を、素敵な日だと思えない自分がいるけれど、
素敵な日が、幸せな日々ばかりではないとこに、とても惹かれていた。
私は、まだ諦めずにもがいているんだなと。
頬濡らし眠れる今日も
ボロボロになれている今日も
治らない傷も
伝わることのない想いもある
など、きれいなことだけではないこともすべて含めて、僕のことだと
自分に重ねて、辛いときにはずっと聞いていた。
この曲は第97回全国高校サッカー選手権大会のための曲だと知ったのはつい最近だ。
すべてを乗り越えて、素敵な日だ言える自分になりたいと思わせてくれる曲。
次に、「点描の唄」を聞き始めた。
ずっと、退職まで先生をやると思っていた。そこに何も疑いがなかった自分と、今立ち止まってしまって、その当たり前が揺らいだ気持ちをこの曲に感じたんだと思う。
1ヶ月ほど、この2つの曲を繰り返し聞きながら、自分の気持が何を感じているのか重ねて聞いていた。
最近の曲は「春愁」
「春愁」
大嫌いだ
人が嫌いだ
友達も嫌いだ
本当は大好きだ
明日が晴れるなら それでいいや
明日がきたるなら それでいいや
あなたが笑うなら なんでもいいや
世界は変わりゆくけど それだけでいいや
「大嫌いだ」なんて人に言えない
そんなことを聞いたら、「いいところもあるかもよ、探してみよう」「どうしたの」と思わず、声を掛ける、そんな職業病。
「人が嫌いだ」そんなこと、口にできない、そんな仕事。
だから、こんなストレートな言葉にドキッとした。
たくさんの人間関係に疲れ「大嫌いだ、人が大嫌いだ」そう思っている自分もいて、そういいながら「本当は好きだ」と思っている自分の心がバレてるような、私の代わりに嫌いと言ってくれているような、そんな最近の気持ちを言語化されているようで、よく聞いている。
そして、「あなたが笑うなら、なんでもいいや」「あなたが生きてさえいれば なんでもいいや」「わたしが生きてるなら それでいいや」の歌詞に、いつかは復帰するのか、仕事できるだろうかとかぐるぐる回る私の中に、今が1番ベストなんだと、存在する理由をくれ、肩の荷をおろしてくれる。
休みに入ってからの、私の気持ちが、少し変化していることを聞いている曲から知る。
まとめ
今の仕事は嫌いだ、それに関わる人間関係も大嫌いだ、うまくできなかった自分も嫌いだ。
本当は大好きだ。
私は、「人が好き」で仕事をしている。