Back To da Second

対話や傾聴によって世界平和は訪れるという楽観主義が崩壊している昨今、徹底的にリアリズムを追求し、確実に世界平和が訪れる事を願う。

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対話や傾聴によって世界平和は訪れるという楽観主義が崩壊している昨今、徹底的にリアリズムを追求し、確実に世界平和が訪れる事を願う。

最近の記事

父の遺品から40年前の野村克也さん講演の本を発見した。よく人を育てた名監督と言われるが、選手を「育てた」のではなく、選手が「育った」のだと仰っていた。自分はキッカケをつくっただけだと。人に何かしてもらおうとすると人生半分損する。人から何かを学ぼうとする人生は得だらけだ、と思った。

    • ある団体の謳い文句と現実が違う場合が多々ある。それは詐欺なのか?私の見る限り、詐欺というより、理念を構成員が理解できず、現場と理念の乖離を感じるだけなのだ。現場の構成員たちは、それぞれ自分の価値観に合わせて行動しているようだ。団体には、本当に現実に根差す理念の構築を!と願うのみ。

      • 新しい資本主義とは何だったのか。日本人の経済意識に刺激を与え、日本浮上のきっかけを創ろうとしたのではなかったのか。結局最後は庶民を守るという名目で金利を上げ、暴落をもたらした。庶民の為という隠れ蓑で、結局は日米両政府の思惑の一致により、自己の政治信条を貫けなかった。

        • 私は自分の二面性に苦しんできました。明るい外面と暗い内面。「お前には自分が無い」と非難された事もありました。でも気づいたんです。明るい自分も暗い自分もどちらも自分であると。そこに無理に統一観を持たせる事が間違っていると。その二面性によって人生を深めていける事に気づいたのです。

        • 父の遺品から40年前の野村克也さん講演の本を発見した。よく人を育てた名監督と言われるが、選手を「育てた」のではなく、選手が「育った」のだと仰っていた。自分はキッカケをつくっただけだと。人に何かしてもらおうとすると人生半分損する。人から何かを学ぼうとする人生は得だらけだ、と思った。

        • ある団体の謳い文句と現実が違う場合が多々ある。それは詐欺なのか?私の見る限り、詐欺というより、理念を構成員が理解できず、現場と理念の乖離を感じるだけなのだ。現場の構成員たちは、それぞれ自分の価値観に合わせて行動しているようだ。団体には、本当に現実に根差す理念の構築を!と願うのみ。

        • 新しい資本主義とは何だったのか。日本人の経済意識に刺激を与え、日本浮上のきっかけを創ろうとしたのではなかったのか。結局最後は庶民を守るという名目で金利を上げ、暴落をもたらした。庶民の為という隠れ蓑で、結局は日米両政府の思惑の一致により、自己の政治信条を貫けなかった。

        • 私は自分の二面性に苦しんできました。明るい外面と暗い内面。「お前には自分が無い」と非難された事もありました。でも気づいたんです。明るい自分も暗い自分もどちらも自分であると。そこに無理に統一観を持たせる事が間違っていると。その二面性によって人生を深めていける事に気づいたのです。

          新たな政策を発表するなら、財源を示せ。どうせ増税だろう。例えば消費税を無くすというなら、そのかわり何の税金を増やすのか示せ。もう美辞麗句に騙されたくない。国民に都合の良い事を言うだけで、筋の通った話が出てこない。中江兆民いわく『わが日本古より今に至るまで哲学なし。』

          新たな政策を発表するなら、財源を示せ。どうせ増税だろう。例えば消費税を無くすというなら、そのかわり何の税金を増やすのか示せ。もう美辞麗句に騙されたくない。国民に都合の良い事を言うだけで、筋の通った話が出てこない。中江兆民いわく『わが日本古より今に至るまで哲学なし。』

          ある人に何か言われて腹を立てる必要はない。その人から言われた内容が、「ごもっとも」と思えれば自分の人生に取り入れる事ができて儲けもんだし、自分の意思に反する事なら自分と価値観が違うなと思って気にしない事だ。

          ある人に何か言われて腹を立てる必要はない。その人から言われた内容が、「ごもっとも」と思えれば自分の人生に取り入れる事ができて儲けもんだし、自分の意思に反する事なら自分と価値観が違うなと思って気にしない事だ。

          世界の有事に想うこと。優位に立つ者が、劣位の者を差別してきた報い。劣位の者の反逆。歴史は繰り返す。劣位の者が優位に立ち、また同じ過ちを繰り返す。人の心から、自分の価値観で推し量れない他者を、見下す傾向を排除しなければ、このサイクルは永遠に続いていく。

          世界の有事に想うこと。優位に立つ者が、劣位の者を差別してきた報い。劣位の者の反逆。歴史は繰り返す。劣位の者が優位に立ち、また同じ過ちを繰り返す。人の心から、自分の価値観で推し量れない他者を、見下す傾向を排除しなければ、このサイクルは永遠に続いていく。

          言葉が人の心に届くか届かないかは、その言葉を発する人間の真偽による。言葉は適切か不適切かが大事なだけで、言葉そのものを技術的に加工したところで人の心には響かない。政治家や宗教家や教育者や経営者などの美辞麗句を並べ立てる言葉は、もう聞き飽きた。

          言葉が人の心に届くか届かないかは、その言葉を発する人間の真偽による。言葉は適切か不適切かが大事なだけで、言葉そのものを技術的に加工したところで人の心には響かない。政治家や宗教家や教育者や経営者などの美辞麗句を並べ立てる言葉は、もう聞き飽きた。

          「選挙にはお金がかかる」とある政治家が言っていた。何の事業にしても、人を動かすのに、お金がかかるのは当たり前だ。この国の民主主義は政治理念ではなく、利害で成り立っている。要は投票者一人一人が賢くなり、利害ではなく、適切な国益観で政治家を選べるかにかかっている。

          「選挙にはお金がかかる」とある政治家が言っていた。何の事業にしても、人を動かすのに、お金がかかるのは当たり前だ。この国の民主主義は政治理念ではなく、利害で成り立っている。要は投票者一人一人が賢くなり、利害ではなく、適切な国益観で政治家を選べるかにかかっている。

          伝統を守るという事は、常に革新し続ける事を伴う。なぜならば、伝統として生き残っている事自体が、時代に翻弄されながらも、時代に合わせて絶えず革新してきたからだ。ただ同じような事を繰り返しておけばいいという姿勢であれば、伝統を守っている様で、実は伝統の破壊へと繋がる行為だ。

          伝統を守るという事は、常に革新し続ける事を伴う。なぜならば、伝統として生き残っている事自体が、時代に翻弄されながらも、時代に合わせて絶えず革新してきたからだ。ただ同じような事を繰り返しておけばいいという姿勢であれば、伝統を守っている様で、実は伝統の破壊へと繋がる行為だ。

          権力には責任が伴う。反権力側の時は自由に意見を主張し、権力を打ち破ったとしても、権力側に回れば、公共の福祉に則り、自由を失う。もはや個人の力では乗り切れず、自然に社会的な力に飲み込まれる。社会そのものが変わらなければ前進しない。たとえ総理の首を挿げ替えたとしても。

          権力には責任が伴う。反権力側の時は自由に意見を主張し、権力を打ち破ったとしても、権力側に回れば、公共の福祉に則り、自由を失う。もはや個人の力では乗り切れず、自然に社会的な力に飲み込まれる。社会そのものが変わらなければ前進しない。たとえ総理の首を挿げ替えたとしても。

          立正安国論 私的現代意訳①

          第一問 旅客の嘆き 「21世紀は希望あふれる時代だと思っていた。20世紀を教訓にして、あらゆる差異を乗り越え、世界中が地球的問題群に一緒になって立ち向かっていくと信じていた。しかし、21世紀開幕の年に9.11が起こったのをはじめ、各地で大規模災害が頻発し、さらに再冷戦ともいえる状況に各地の内乱や地域覇権を目指す組織が再活性化している。宗教団体はじめ各平和団体は世界平和を訴えている。政治団体も改革を掲げる。経済界も技術革新や経営革新を唱え、教育界や学術界も新たな試みに取り組ん

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          一生成仏とは?

          日蓮が建長七年(1255年)に執筆したとされる『一生成仏抄』 短い文章の中にも、日蓮思想の要諦が詰まっています。 そもそも、一生成仏とは何なのでしょうか? 文字通り、一生の間に成仏する事です。 ♦一生について 日蓮思想にとっては、前世(生まれる前の人生)や来世(死んだ後の人生)は方便(巧みな手段)であり、本来の目的はこの一生、つまり一度限りの人生を充実させる事です。 前世や来世が方便である限り、上手く使いこなさなければ、かえって害を及ぼすことになりかねません。 例えば、

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          宗教は戦争の火種でなく、平和の種だ

          ◆はじめまして 私は日夜、身業(行動)口業(言動)意業(意思)において仏道修行に励む在家信者(出家していない一般信徒)です。 昨今のガザ情勢、またはIS、9.11など、一般的に宗教に馴染みのない人々にとっては、宗教が戦争の火種と映るかもしれません。 まさにマルクスの言うところの『宗教はアヘンである』と。 しかし、宗教を具に探求してみると、宗教は戦争の火種どころか、平和の種である事がわかるのです。 では、なぜ宗教が戦争の火種となっているように見えるのか。 それは、①指導

          宗教は戦争の火種でなく、平和の種だ