共通テストにおける英語の4技能試験導入について
今回は共通テストにおける英語の4技能試験導入(民間試験活用)について考えてみたいと思います。2021年から行われる共通テストで予定されていた英語の民間試験活用に対する議論と国民からの大きな反発、そして延期発表に至る流れについては、記憶に新しい方も多いでしょう。
英語の4技能やそれを測る民間試験自体についてどうこう言うつもりはありません。実際、民間試験は英語力を測る1つの指標として様々な場面で活用されており、そういう意味での有用性については一定の評価がなされています。今ここで考えたいのは「なぜ英語の4技能を大学入学共通テストで測らなければならないのか」ということです。4技能は大学入学のために必要な能力なのかという点と、共通テストで測定する必要性があるのかという点に対して、今のところ誰もが納得できるだけのエビデンスと明確な根拠が与えられていないのではないでしょうか。
そもそも、どのような学生に入学して欲しいかを決める権利は文科省ではなく、それぞれの大学にあります。大学が行う入学者選抜は各大学の定める「アドミッションポリシー」に基づいて行われるべきである、というのは文科省自身が言っていることです。それでは、すべての大学側が共通テストで英語の4技能を測定することを必要としているということなのでしょうか。
「話す・聞く」という能力が語学において極めて重要な要素であることは言うまでもありません。しかし、大学での勉強や研究で先ず必要とされるのはどちらかといえば資料や論文を読むための「読み・書き」の能力です。いくら英語を流暢に話せたとしても、論文などを読んでその内容をきちんと理解し、自分の主張を論理的な文章で書くことができなければ意味がありません。要は優先順位の問題です。
「話す・聞く」能力に関しては、個別試験で面接などを行なって測れば良いと考えている大学もあるのではないでしょうか。全大学が必要と感じて嘆願書でも出したのであれば話は別ですが、誰が共通テストで4技能を測定する試験を導入することが必要であると思っているのか定かではありません。
民間試験活用に至る議論では、共通テストに4技能試験を導入する(そして民間試験を活用する)ことが大前提とされていたのではないかという印象を受けます。「まず結論から始めよ」とでも言いますか、この手の議論でよくある結論ありきの論理展開です。文科省は今も民間試験を導入する方向で話を進めたいようですが、あれだけの反対を受けて延期となったからには一度根本部分まで遡って議論をしなおす必要があるでしょう。9月入学制度導入に関する議論でエビデンスが大きな注目を集めたように、その他の教育制度に関する議論の場においてもエビデンスが重要であることは言うまでもありません。
どうも日本にはいまだに英語に対する幻想やコンプレックスが根強く残っていて、英語至上主義というべきか、英語狂騒曲というべきか、英語のことになると冷静な判断ができなくなる人が多いようです。高校までの段階で4技能を高いレベルで兼ね備えた人材を育成することができれば、それは理想的でしょう(今の日本の教育制度では理想論でしかありませんが)。しかし、教育制度を根本から見直すことなく小手先の変更をしたところで、結局のところ問題解決にはつながらないと思われます。
日本の教育制度改革においては、過去の制度改革に対する検証が十分行われないまま次の改革が行われるということが繰り返し行われてきました。そろそろ日本の将来を見据えて、真剣に議論すべきときなのではないでしょうか。エビデンスに基づき、透明性が確保された議論が望まれます。